Life Itself

生活そのもの

ヨガと瞑想継続50日

なんだかんだ言いながら、ヨガと瞑想は50日続いている。当初の目標であった1ヶ月は、いつのまにか達成していた。ヨガをするために朝起きるのは辛いが、ヨガをしているからこそ、日中の仕事が少し楽になっている。 先生から指示されたとおり、ヨガは最低30分はしていて、時間を取ることができるときには1時間近くすることもある。30分なんてそんなに長い時間を毎日することなんて面倒くさくてできないだろうと思っていたが、まぁ面倒くさい気持ちはいまだにあるものの、別に気合を入れることもなく、日常の生活の一環としてできるものだということがわかった。

ヨガをすることで日々の体の状態を把握して、バランスが崩れている箇所に対してケアをすることができる。毎日毎日時間に追われて整骨院にも鍼灸院にも行くことはできていないが、今まで抱えていた肩や腰の痛みは悪化することなく、その痛みを忘れることさえある。

瞑想する時間は、最近では1日の中で最も贅沢な時間だと思うようになってきた。最初の2週間くらいは明かりを全部消して、窓も全部締めて何も邪魔するものがない状態でやっていたが、最近では明かりは付けっ放し、窓も開けっ放しの状態で瞑想するようになった。別に瞑想モードに切り替える必要はなかった。邪魔なものが何もない状態にすると、体は緊張してしまい、集中できないことが多い。窓を開けていると風は気持ちがいいし、風の音や外から聞こえてくる色んな音も瞑想の妨げになることはなく、逆に集中を促すように思う。

瞑想をしないと気づかない体や心の状態というものがある。瞑想をして心の状態に気づくというのはこれまでもわかっていたことだが、ヨガをしている最中には気づくことができない体のバランスの欠如や緊張状態を、瞑想することで気づくことができるいうのは驚きであった。瞑想中はその欠如や緊張に対して何かをすることはない。ただそのことに気づいて呼吸をするだけである。だが、それだけでも、10分するとバランスは多少安定するものである。

心の状態がよくなければ瞑想もなかなか集中できないわけだが、それもその日の状態ということで受け入れて、瞑想をするしかない。

今日は瞑想し始めてすぐに昔あった嫌な出来事がなぜか頭に浮かび、そこから感情と結びついてしまった。瞑想中に頭に血が上ったのである。すぐにそれがわかって呼吸に意識を向け、そこから徐々に落ち着いていった。落ち着くというのは、上がった心の状態が、接地した地面の方に下がっていくような感覚である。グラウンディング。吐く息とともに上ってしまった感情を、地におろして置いていくような感じ。実際に感情を置くようなことはできないわけだが、そのような感覚で深く大きい呼吸をしていると、意識的な呼吸をするその運動自体に意識の大部分が向くため、感情のことまで構っていることができなくなり、忘れていくのだろうと思う。