Life Itself

生活そのもの

2018/06/22

今、僕ら夫妻は完全に「待つ人」で、なんとなく気が急いでいる感じがする。こっちがいくら前のめりになったところで、来る人=赤ん坊がやってくる日が早くなることはないだろうと思う。ただ待つしかない。でも、じっと待つことはできない。来る人のために何かしたくなる。その時のために色々と調べる。まぁそれ自体には何も問題はないのだけれど。
この少し気が急いている時に、スポーツを見るのはとてもいい。特にサッカーは流れが途切れることがないので、本当にいい。この時期にW杯が開催されていて幸運だったと思う。スピーディーでテンポが良くて。でもなかなか点は入らない。目が離せない。サッカーに見入っている時、たまに他のことは何も考えていないときがある。こんな時期に少しもったいない時間の過ごし方かもしれないが、考えない時間というのは貴重だ。
 
サッカーを見ている以外のときは、何かをしながら、考えながら、その時を待っている。昨夜、赤ん坊のことを考えていて、小さい頃の弟のことを思い出していた。
弟が喃語を話していた時のことまでは覚えていないが、話し始めの頃のことはなんとなく覚えている。少し舌っ足らずな感じでよく甘えてきて、本当に可愛かった。半年もするとその甘える感じがなくなってどんどん生意気になっていった。ある日、その生意気さが嫌になって、そんなことはできないだろうと思いながらも「前みたいに甘えるかちゅくんになってよ」というと、すぐにあの甘えた感じを出したのだ。弟は、小さい頃からとても賢いところがあった。今考えると、話し始めの頃から、弟は計算して甘えてきていたのか!僕にも親にも。

2018/06/21

『なずな』の次の本は、同じ堀江敏幸さんでこれまた積読になっていた『河岸忘日抄』を読むことにした。
まだ50ページくらいしか読んでいないが、面白く読んでいる。
 
数ヶ月前にタルコフスキーノスタルジア』の中古Blue-rayを購入し、つい2週間ほど前に3回目を見ていたのだが、物語の序盤にこの『ノスタルジア』の場面と、映画について語るタルコフスキーの言葉が出てきた。枯れた温泉の中の端から端まで、蝋燭の火が消えないように歩く場面。1回目は見ている途中に寝てしまって、起きて目に入ったのがこの場面だった。途中の物語を追っていなかったから意味は分からなかったけれど、その切迫した様子はとても印象に残っていた。数回見ただけでは理解が難しい難解な映画だけれど、何度も見たくなってしまう。映像が美しいし、印象的なシーンがいくつもあるからだと思う。小栗康平の『FOUJITA』もそうだ。『レヴェナント』も。
 
つい最近見たばかりの映画のことが小説に出てきたからか、言葉がすっと入ってくる。『なずな』の世界をまだ引きずってはいるが、徐々に新しい物語に入っていっている。とても心地が良い。
 
多くの人の例に漏れず、僕も最近はテレビでサッカー観戦尽くしの日々だ。帰宅したら書斎に入って音楽を聴きながら日記を書いて、その他の時間のほとんどはサッカーを見ている。
今回は優勝候補と言われているチームのほとんどが苦戦しているのが面白い。メキシコ対ドイツ、ポルトガル対モロッコ。すべてを見ているわけではないが、この2試合はとても面白かった。もちろん、日本戦は興奮した。日本戦が終わった後は、久しぶりに酒を結構飲んでしまった。
 
赤ん坊はW杯開催年の、しかも開催期間中に産まれる可能性が高い。W杯の度に、産まれるかどうかのこの時期のことを思い返すことだろう。4年に1度。次は4年後。無事に産まれ、育ってくれれば4歳だ。どんな子どもに育っているだろう。

2018/06/20

最近、祖母の記憶力が衰えてきていて、2,3時間前の出来事も忘れるようになっている。頻繁に祖母の家に呼び出されて、同じものを何回ももらうし、同じことを何度も言う。驚いたのは、弟の娘、僕の姪が産まれたことすら覚えていなかったことだ。弟も数年に1度くらいしか祖母に会いに来ないので、仕方がないのかもしれない。僕の母が会いに言ってもほとんど反応をしないらしく、身近なところにしか意識がいかなくなっているのだろう。何度もここで書いているように、僕の妻には天使のような笑顔で接している、たぶん今では僕よりも妻の方が好きなのだと思う。
 
もう90歳なので、単純に年齢のせいもあるかもしれないが、祖母の横の部屋に住む叔母は大変そうだ。何度も同じ言動をして、1人で外に歩きに行くなと言っても、いつの間にか1人で出てしまっている。
 
福岡に引っ越して来た頃、祖母は毎朝朝食を作ってくれていた。もう7年前の話だが、2年くらいはその生活が続いて、つまりはその期間、僕は毎日祖母と会っていた。僕としても朝食を作ってくれることはありがたかったし、祖母としてもそれが生きがいだと言ってくれていた。とても嬉しかった。心臓に病気が見つかって、1ヶ月入院をしたあとから朝食を作るのが難しくなり、それから毎日会うということはなくなった。それでも近所に住んでいるので、今でもたまに遊びに行っている。
 
祖母の記憶力は数年前から衰える一方なので、これから良くなるということはおそらくなくて、さらに悪くなっていくかもしれない。僕の子どものことは、覚えてくれるだろうか。妻のことがお気に入りなので、きっと覚えてくれるだろうとは思う。
 
最近、祖母は週に数回デイサービスに通っていて、その様子を写した写真を見るととても楽しそうだった。子どものような笑顔だった。たぶんいつもとは違うことをするのが刺激になっているのだろう。祖母にとって、一族に新しい命を迎えることは今まで何度もやってきたことだろうが、僕らの赤ん坊が産まれて少し刺激になってくれたら嬉しい。そんなに頻繁に遊びにいくことはできないだろうが、たまに赤ん坊の顔を見せに行くことができればと思っている。

2018/06/19

今日の検診で、まだまだ赤ん坊は産まれてきそうにないと言われた。赤ん坊は2500グラムとまだ小さめなので、今後の成長次第では、早めに入院して出産の予定を組むことも考慮に入れていくという。
今のところ、赤ん坊はすこぶる元気である。妻のお腹の中の居心地がいいのか、まだ暴れまわっている。
 
今日、『なずな』を読み終えてしまった。並行して『白鯨』も少しずつ読んではいるが、なんとなく『なずな』からうまく繋がりそうな小説を探して読みたいと思っている。また堀江敏幸さんの本でもいいのだが、他の作家の本を読んでみたい気もする。
 
さて、今からサッカー日本代表の試合だ。今年に入って色々とあった日本代表だが、ここまできたからには応援するしかない。今日のスタメンにも香川は乾など、関西出身の選手がいるので、被災した人々に元気を与えるよう頑張ってほしい。

2018/06/18

昨日書いたように、今日は妻と街に出るつもりだったのだけれど、2人ともどうも体がだるく、見送ることにした。
今朝、整骨院に行った時、施術者の方に、この時期は気圧の変化で体にだるさを感じやすく、鬱になる人が多いので注意してくださいと言われたばかりだった。その言葉が耳に残っていたのか、実際にその気圧の変化にやられてしまったのかわからないけれど、午後から体がずっとだるく、妻にそのことを伝えたところ妻もそうだと言っていた。2人でだるいと言い合った30分後くらいに雨が降り出した。多少は気候の関係もあったのかもしれない。家でじっとしていてもだるさが抜けず、15時くらいから20時前まで寝ていた。1日無駄にしたという感じもしないではないが、1日ゆっくり休めたと思えばいい。
 
最近、書斎にいるときには坂本龍一の音楽しか聴いていない。『Media Bahn Live』『先のナイフ』『async』『The Best of 'Playing the Orchestra 2014'』あとはレヴェナントのサントラ、この数枚の繰り返しだ。坂本龍一の音楽しか受け付けない感じもしないのだけれど、気づけば坂本龍一の音楽をかけている。

2018/06/17

もうすぐ『なずな』も読み終わってしまう。とてもいい小説だった。この小説がいつまでも続けばいいのに、いつまでも『なずな』の成長を読み続けたいと思っているが、読み終わった頃には、もしかすると読み終わる前に、今度は僕の育児の出番が来ることになる。
 
赤ん坊が産まれることでどれだけ生活が変わるのか、もっと直接的な言い方をすればどれだけ生活に制限がかけられるのか、『なずな』を読んで少しはわかるようになった。だが、赤ん坊の健康状態や周りの環境によって異なるだろうし、実際にはその時にならないとわからない。気づけば出産予定日まで14日、今日から38週目に突入している。14日!赤ん坊に会うのが待ち遠しいような、少し怖いような、複雑な感情には変わりない
 
昨日喧嘩した妻には今朝謝って(妻から謝罪の言葉がないと指摘されて言った)、今日は買い物で天神をぶらぶらとした。正産期に入った人の中には、1日3,4時間も歩く人がいるのだという。それでも歩くと言っても、公園を3,4時間も歩くのではさすがに飽きてしまうので、商業施設などの空調が効いた場所で買い物を楽しみながら歩く人が多いのだそうだ。ということで、今日は買い物をしながら数時間ぶらぶらしていた。
 
いくら生活が制限されると言っても、僕は仕事もあるし出産後も外に出ることはできるだろう。だが、妻は出産後、赤ん坊の世話があるので、しばらくの間は今までのように外に出ることが難しくなるかもしれない。赤ん坊が無事に産まれることを思っての行動でもあるが、妻にとって今日のようにゆっくりと街をぶらつくのはとても大切な時間なのだ。明日も仕事が休みなので、一緒に街に出る予定だ。僕も妻の大切な時間を無駄にしないように、一緒に楽しみたいと思う。

2018/06/16

ここ数日間、また耳鳴りがずっと気になっている。寝ている間にも耳鳴りで起きたり、昨日も起きてすぐに1分ごとに耳鳴りがなった。
原因はわからない。既に何度か病院行っているが、特に病名があるわけではない。僕が神経質なだけかもしれないが、1年で数回は耳鳴りが気になる時がある。
 
1年中、体のどこかを気にしている。少し前までは右手の親指、その前は右鼻の慢性的な詰まり、さらにその前は...もう忘れてしまったが、何かを気にしていた。
 
いつも体のどこかしら不調になるというのは、1つはそれだけ年を重ねたということがあるだろうが、心/マインドの問題だと思う。たぶん心に空白があるのが我慢できないのだ。空白があればそれを埋めたくなる。別に大した不調ではなくても、空白を埋めるために、そこに意識を向ける。意識を持っていく。不調と自分が同一化していく。同一化している間は、そればかりに気を取られているわけだから、楽なのだ。心に空白があり、自由に動くことができる状態というのを、おそらく僕自身そこまで望んでいない。空白がある状態が好ましく、その状態を心地よく感じた記憶があるにもかかわらず。空白がある状態というのは、ある意味で面倒なことなのだ。短時間空白の状態にいることはそんなに難しいことではないけれど、長い時間その時間を保つのはとても難しい。少なくとも、僕はそう感じている。
 
30歳を過ぎれば、誰しも体のどこかに不調を感じる。その不調をどう処理するかはその人次第であるのだが、不調に関してある人が言っていたことをよく思い出す。
不調には意識は向けない。ただ、意識をそこに置く。つまり、不調を対象化せずに、ただ在るものとしておく。意識はするが、向き合わない。確かそんなふうなことだ。
 
不調は体が発する信号なのだから、それを無視すべきではない。その信号は受け取った方がいいものだ。ただ、不調を対象化して、真正面から向き合ってしまうと、マインドがそこに奪われてしまうことになる。無視はしないが、対象化もしない。ただ、在るものとして、意識に置く。そこに空白は存在する。
 
 
今日は些細なことで妻と言い合ってしまった。僕が我慢すべきだった。妻は何も悪くなかった。僕が我慢できなかったことで、妻にひどいストレスをかけてしまった。おそらくはお腹の中の赤ん坊にも。いま、こんな時間に、妻は1人で散歩に出かけている。
妻や赤ん坊のことを毎日書いていながら、肝心な時に感情を自制できない。と、こう書きながら、僕は自分自身に対する怒りの感情を抑えることができないのだ。