Life Itself

生活そのもの

2019/07/19

疲れているときほど、瞑想の効果は高い。今日初めてそのことを知った。

今日は関西から友人が来てくれて、地元を案内した。その後、車で福岡へ。道が結構混んでいたことと、道中、娘がずっと泣いていて疲労困憊。今は一旦家に帰ってきたが、すぐに天神に出なければならない。束の間の休みの時間。10分だけ瞑想した。 目を瞑ってすぐに、体のバランスが崩れている感じがした。左に重心が傾いているようだ。そのことを意識しながら、ずっと座っていると、徐々にバランスが戻ってきた。疲れも感じていたが、その疲れによってふわふわと浮いている感じがして、呼吸に意識を向けているだけでほんのり眠く、気持ちがよい。10分だけでも瞑想してよかった。

道中、娘はずっと泣いていたが、唯一泣き止んだのが、タケモトピアノのCMを流した時だった。探偵ナイトスクープでやっていたことは本当だった。しばらくの間、15分くらいだったと思うが、その間タケモトピアノのCMを娘に見せるとぴったりと泣き止み、笑顔さえ見せた。効果は長続きしなかったが、タケモトピアノのCMが本当に効果があることがわかっただけでもよかった。

さて、また天神へ。

2019/07/18

今日は朝早く起きてヨガと瞑想をした。ノルマはクリア。

昼過ぎから強い雨が降る予報だったので、早いうちから実家へ向かうことにした。道中ほとんど雨降ることなく、昼頃実家に着いた。途中、速報であまりにもむごい事件のニュースが。まだ全容はわかっていないが、直視できない。まだまだ作りたいものがあっただろうに、志半ばで亡くなった人のことを思うと、何も言葉が出てこない。

これから両親と晩飯を食べに行く。 明日は関西から友人がやってくる。どれほど雨が降るかはわからないが、大雨が降るとは思わずプランを立てていて、雨が降った場合のことは何も考えていない。これからあらためてプランも考えないといけないが、なかなか考える心の余裕がない。 瞑想しよう。

2019/07/17

明日から少し休みをもらって、実家への帰省と関西から来る友人と遊ぶことになっているが、心配なのは毎日継続していることをこの期間中も続けることできるかということだ。毎日していることといえば、この日記、ヨガ、瞑想の3つだけである。

おそらく、日記はなんとかなる。書く分量を決めているわけではなく、とにかく1行でも書くということにしているから。ただ、ヨガと瞑想に関しては、とりあえずやればいいたいうのではなく、先生から課題として与えられた時間をこなさなければならない。 期間中は毎日飲んで遊んでということになるだろうから、ヨガと瞑想はすること自体が難しい。もちろん、酒を飲んだあとはヨガや瞑想はできない。酒を飲むというときには朝にヨガや瞑想をすることにしているのだけれど、毎日飲む場合に怖いのが二日酔いだ。二日酔いだと朝はヨガができない、かと言って日中にヨガをする時間があるわけもなく、帰宅後はまた酒が入っているからヨガはできない。 家から離れるということもヨガを難しくさせる。明日は実家ではなく、ホテルに泊まる予定だ。娘と同じ和室に寝ることになるのだが、家とは勝手が違う、うまくヨガをする空間と時間を確保できるか。

いつもは太陽礼拝をしてスタンディングをしてシッティングをして、その後瞑想をするといった感じで、やる内容は変わる場合もあるけれど、基本的にはこういった流れでやる。期間中はさまざまな要因でこの流れではできないかもしれない。少し臨機応変に流れを変え、またこまめにできるときにヨガをするようにしていくのがいいかもしれない。

2019/07/16

・恐れていたら、やはりやってくる。台風さん。 今週は実家に帰るだけでなく、その後友人が関西から九州までやってくる。昨日台風来たらやだなぁと思っていたら、夕方くらいに台風が発生して今週末にかけて九州の西側を北上してくるとのニュースがあった。行き帰りともに飛行機なので、台風が発生するとかなり影響を受けることになる。いまの進路予想であれば大丈夫そうだが、どうなるかわからない。週末を無事に楽しく過ごすことができればいいのだけれど。

・朝、娘を保育園に預けるというのは、娘が一番大変なことではあるが、預ける僕も慣れていかないといけない。保育園に行くまでの電車の中や、駅から保育園までの道中では、アーアァアーブーブルンブルンブルンとへんな音程で、でもそれは音程に違いなく、リズムもあって何かしらの歌を歌っているくらいとても機嫌良さそうにしていたのだが、保育園に入って保育士さんに預けた途端にギャン泣きした。ギャン泣きした娘は、僕にまた抱きつかんと手を一生懸命伸ばしていたが、僕は手を振ってあげることしかできなかった。手を振るのも数秒程度、後ろには他のお母さんが待っていた。娘の泣き顔を見て保育園から駅に向かうまでんの間はきつかった。音楽でも聴かないとと思って、Bob DylanHighway61 Revisitedを聴いて会社まで行って、自席に着いた時にはまだ娘は泣いているのかなぁと思って、なんだかよくわからないため息が出た。 迎えに行くのは妻の役目だか、迎えるのが妻だからか、娘は超ご機嫌に出迎えたらしい。保育園でも泣いてばかりでもなかったそうだ。娘の涙でただ僕が不安になっただけだ。娘はもう強くなっている。僕こそ強くならなければいけない。

2019/07/15

娘と一緒に2時間の昼寝をした。その間は妻は風呂やトイレの掃除をしてくれていたらしく、感謝と申し訳ない気持ちだ。

娘は相変わらずまだ下痢で、少しずつ良くなっている感じはあるけれど、体調は万全ではない。だが、昼寝したのが良かったのか、前抱っこで天神まで出かけると娘は上機嫌で、あらゆる人に愛想よく接していた。バスの中では横の韓国人の綺麗な女性に笑いかけ握手をし、街に出てからは行ったほとんど全ての店で店員さんにニコニコして最後には手を振ってバイバイしていた。とんかつを買いに行って並んでいると、前にいたおばあさんにニコニコしてたらしく、何度も話しかけられては笑顔で返していたようだった。

娘の愛想の良さにはいつも感心する。愛想のよさは遺伝が関係しているのかは知らないが、もし関係しているとすれば、それは妻の遺伝子だ。子どもの頃から愛想がなく、可愛げがないと言われてきた僕ではない。結婚前から、妻はよく僕の愛想のなさをカバーしてくれている。実の祖母の家に行っても、僕は愛想よくすることができないので、妻が愛想よく接していると祖母は妻のことがお気に入りになった。それはとても喜ばしいことだ。 僕は愛想よくしようとしても、無理しているからなのか逆に人に警戒されてしまう。家系の中で、愛想がないのは僕と父くらいのものだ。 娘のことを見ていると、持って生まれた愛想の良さというものはあるのだと思う。愛想がなければないで僕はその子の気持ちをわかってあげることができるけれど、愛想がないと苦労することも多いので、愛想が良いのはいいことだ。

2019/07/14

昨夜の瞑想はいい感じだった。瞑想中も瞑想後もずっと心が落ち着いていて、この感じであれば熟睡できるだろうと思った。でも、熟睡はできなかった。夜中何度も起きた。耳鳴りの音が気になって起きたことが数回あったように記憶している。飲み会に行った夜に耳鳴りが何度も起こってから、毎夜のように耳鳴りがなっているような気がする。今日、仕事が終わって帰ろうとしたときにも、これまであまり経験したことがないような大きさの耳鳴りが鳴った。たかが耳鳴りではあるが、耳鳴りの音はとてもストレスである。とくにその音がいつ止むのかわからないようなものの場合には。毎日ヨガをしてはいるが、体のどこかが緊張しているのかもしれない。何かが知らず知らずのうちにストレスとなっているのか、ヨガ自体が体のどこかにストレスをもたらしているのか。

何度も書いているようだけど、ヨガをすること自体はまだまだ面倒くさく感じている。もっともヨガをし終わった後はすごく気持ちがいいから、ヨガをした後に後悔するようなことは全くないが、ヨガマットに乗った瞬間というのはいつも面倒くさい気持ちを持っている。アサナを始めれば面倒くさい気持ちもどこかに行ってしまうのだけれど。 瞑想は面倒くさいと思うことはない。ときにあまり瞑想がうまくいかなくて、瞑想の後に少し疲れが残ることはあるけれど、瞑想をすること自体を面倒に思うことは一度もなかった。今日、仕事の同僚が毎日1時間以上、ときには朝と夜に1時間ずつ合計2時間以上瞑想していると聞いて、僕にはとてもではないけれどできないなぁと思った。やってみても30分くらいのものだろう。瞑想の1時間の長さを想像することはできない。今はとにかく1日10分だとしてもやり続けていくしかない。ヨガもなんだかんだ毎日40分程度やっている。 ただ、時間が足りない。毎日僕ばかりが時間をもらっている。ヨガをすることで書く時間も読む時間も少なくなっているのは大きな悩みだ。

2019/07/13

久しぶりに雨の中出社したような気がする。大雨の日であっても出社時には降っていなかったり、雨が降っていても休みまたは在宅勤務だったりで、雨の中、出社することがなかった。雨の中で出社したことがないことに思い当たっただけで、特に雨の日に出社したいわけではない、できれば避けたいと思っている。オフィスワークだからあまり関係ないのだけれど。ゴルフコースで働いていたときは、雨の日は大変だったけれど、それはそれで楽しく仕事ができていたように思う。なんでこんなに嫌に思うのか。家を出てから会社に着くまでの間、家から駅まで、駅から会社までのごくわずかな時間だけ傘をさすのがただ面倒くさい、それだけのことかもしれない。それだけなのに嫌なのか、それだけだから嫌なのか。

娘の下痢はまだ治らない。今日もずっと下痢で、オムツを替えるときはヒリヒリするのか不機嫌だったようだ。それ以外はずっと上機嫌。僕が帰宅したあともずっと上機嫌だった。とても上機嫌で、何回も噛まれた。最近娘は噛むのだ。腕を太ももを。妻のことは少し前から噛んでいたようだが、今日僕もその被害にあった。被害である。上の前歯4本もだいぶ伸びてきて噛まれるととても痛い。ほんとうに痛い。甘噛みを知らない娘はいつも本気噛みだ。腕を噛まれると贅肉がむにょーんと伸びる。腕ならまだいい。腹の肉、たぷたぷの贅肉がついた腹を噛まれると、その痛さに本気で絶叫する。あとは太ももの内側、これはえげつない。叫ぶことすらできない。悶絶する。妻は料理をしているときなど台所に立っているときに、脚を噛まれるらしい。これはキツいだろう。 1歳になったばかりだからエンドレスに繰り返し噛み続け、痛がっている様子を嬉しいと勘違いしているのか、その強度をさらに強くしているようにも感じる。噛むのは成長の過程なのだろうか。そうだとすれば、これは親にとっては試練の期間かもしれない。天使の微笑みで本気で噛みにくる。