Life Itself

生活そのもの

なんでも遊び道具に変えてしまう赤ん坊

赤ん坊は家で起きているときはじっとしていることがなくて、何か遊ぶものを与えておかないといけない。お気に入りのおもちゃはいくつかあるが、どのおもちゃを与えてもそれで遊んでくれる。ただ、1つのおもちゃでずっと遊んでいるということはなくて、次から次に興味がうつるから、タイミングを見て別のおもちゃを与える必要がある。
 
さっき何もおもちゃを与えずに横にいて赤ん坊を見ていたら、僕の顔、主には口のあたりを掴んだり、いつものごとく後ろに移動してケーブルを掴もうとしたりして、とにかく何かを掴んで遊ぼうとするのだが、ケーブルを掴もうとするたびに僕の横に戻すことを繰り返すと、赤ん坊も諦めたのか、それとも後ろに移動することに疲れたのか、その場で自分の手を舐め始めた。それもすぐに飽きたようで、今度はたまたま赤ん坊の手の近くに落ちていた僕か妻の髪の毛を掴んで遊び始めた。髪の毛は割と気に入ったようで、しばらくずっと髪の毛で遊んでいたのだけれど、ある時髪の毛を見失ってしまったようで、また遊び道具を探し始めた。次の遊び道具は毛糸の玉だった。掴んでそれをいじくり回して遊び倒す。赤ん坊はなんでも遊び道具に変えてしまうようだ。
 
赤ん坊の行動は実家の猫と似ているところがある。常に何かを探して動き回って、それに疲れたら寝る。1つ大きく違うのは、猫はずっと食べ物を探し回っているが、赤ん坊は今のところ母乳とミルク以外に興味がないところだ。しかし、貪欲に身の回りを探し回るところはとても似ている。
 
いま、我が家は、赤ん坊の教育に関することで揺れている。すでに結論はほぼ出ているのだが、我が家のお金事情を考えると二の足を踏んでしまう。それだけのお金をかけて、果たして赤ん坊は気に入ってくれるのか。効果が出るかどうかは赤ん坊次第だし、出ないなら出ないで仕方がないが、それでも他にもっといい方法を考えることができるのではないか。赤ん坊だけではなくて、僕ら両親も根気よく付き合うことができるだろうか。あと数日考えて最終的な結論を出したいと思う。

2019/02/15

朝ドラ『まんぷく』を見てきて、ラーメンが完成したタイミングでご多分に漏れずチキンラーメンを購入した。『まんぷく』の影響で買い求める人が多いという記事があったが、スーパーでも目立つ場所にチキンラーメンは置いてある。
しかしチキンラーメンを食べることなど何年ぶりだろう。10年とは言わない、もしかしたら20年以上口にしていないのかもしれない。もともとインスタントラーメンは食べないし、ラーメン自体もそこまで好きではない。だが、『まんぷく』でチキンラーメン完成に至るまでのドラマを見せつけられては買わずにはいられなかった。たぶん明日の昼食になると思う。食べてみるのが楽しみだ。
 
堀江敏幸須賀敦子プルーストはずっと読み続けるという今年の目標を1つ立ててから、読書がいい感じに進んでいる。堀江敏幸須賀敦子プルーストと同時並行で他の本を読むのだが、思いの外いいペースで読むことができている。特に今年は読むエッセイに外れがない。堀江敏幸須賀敦子はもちろんだが、寺尾紗穂、田尻久子、鳥羽和久、谷郁雄茂木健一郎鬼海弘雄坂口恭平。それに管啓次郎川田順三。同時で読むから、必然、読み終わるまでに時間を要するが、それでいい。読むことを急がない分、じっくり読むことができるように思う。本は読み終える頃になると、その本が終わることの寂しさと、次に何を読もうかという気持ちが入り混じって、一気に読んでしまうことが多い。同時読みだと、次に読む本を考えなくてもいいからか、まだ読んでいる本があるという安心感からか、最後の最後まで同じペースで読むことができているように思う。それでいて、同時読みする本は減るどころか、少しずつ増えていく。読んでいる本に触発されて、それに関係した別の本を手に取る。僕のリュックは日に日に重くなっていく。

照れた表情をする赤ん坊

妻が生後3ヶ月くらいの赤ん坊の動画を本人に見せたところ、声をあげて笑い、しかも照れくさそうにしていると言ってきた。今日は自宅勤務だったので、妻からそのことを聞いてすぐに赤ん坊の様子を見に行ったところ、動画を見ては満面の笑みを浮かべ、布団に顔を擦り付けることを何回か繰り返していた。布団に顔を擦り付けるのは照れ隠しだろうか。たしかに「やめてぇ」とでも言ってきそうな、照れた表情をしている。
照れているのは、4ヶ月前の自分の姿を恥ずかしく思っているからだろうか。そもそも、赤ん坊はその動画に映っているのが自分だと認識しているのだろうか。
 
いつまでかは忘れたが、赤ん坊を鏡に写して自分の顔を見せてみると、すぐに顔を逸らしていた。それが、数週間前からは鏡に映った自分をじっくりと見るようになった。赤ん坊と、鏡の中赤ん坊は確実に目があっている。鏡を見ることで自分を認識したのかもしれない。赤ん坊は動画に映っているのが自分であることをわかった上で、以前の自分の姿を恥ずかしく思っているということなのか。だとすれば、すごい成長ではないか!以前の自分と今の自分を比較するなんて。
 
本当のところはどうかはわからない。動画の自分を自分だと認識しているかもわからないし、もし認識できているのだとしても、それが過去の自分なのか今の自分なのかを区別するのはきっと難しいことだろう。
 
赤ん坊はそろそろハイハイを始めそうな気配を見せている。昨日くらいから、足を交互に前に出すようになった。肘を伸ばしきっているので、前には進むことができていないが、ハイハイするのも時間の問題だと思う。
 
しかし、布団に顔を擦り付けることもそうだが、最近赤ん坊は顔を何かに擦り付けることがあって、その姿がひどくかわいい。抱っこをしていると赤ん坊は僕の胸にも顔を擦り付けてくるのだが、擦り付けるだけでなくて左右に頭を振るので、見上げてきた顔をみると、鼻のあたりが少し赤くなり、乱れ髪になっている。もしかしたら顔のどこかが痒いだけなのかもしれないが、顔を擦り付けられるというのは非常に愉快なものである。

2019/02/13

親しい人がいなくなったり、7月には妻が職場復帰したりで、来年度から職場の雰囲気が変わりそうな感じがしている。
チームの中でも仕事がはやい人が2月いっぱいで辞めることになり、ただでさえ最近慌ただしく仕事しているのが、さらに余裕がなくなりそうな感じだ。どうにか改善しようと今日も少し話し合ったが、新しい人を入れるにも教育が追いついておらず、なかなか厳しい。まずはチームの1人1人がスキルを上げていくしかない。
仕事は仕事、家庭は家庭と言っても、在宅勤務をすることもあって、完全に分けることは難しい。明日も在宅勤務なので出勤時間がないことを考えるとかなり楽ではあるが、その分メリハリがつかない。正直なところ、会社の仕事に関してはやはり出社した方が集中しやすい。IT関連の会社はこれからどこでも仕事ができるように進んでいくだろうし、実家の家業を継いでからもずっと会社にいるつもりはないので、どこででも集中できるように今のうちから慣れておかなければならない。ただ、これは習慣の問題でもあるから、回数を重ねていく毎に自宅での仕事も集中できるようになっていくだろうし、その他の場所でも仕事ができるようになることだろう(そう期待したい)。
 
今日の昼休みは同僚と一緒に外に食べに行ったので、本を読む時間がほとんどなかった。本を読まない日は、書くことを見つけるのに苦労する。出来事らしい出来事は何もない。今日を振り返ると、「忙しかった」の一言しかない。美味しいものを食べたはずだが、その印象もあまりない。帰宅後ヨガをしても、している間はよかったが、その後しばらくするとまたダルさが戻ってきた。こんな日はダメだ。とりあえず今から風呂に入りながら本を読み、リセットして、しっかりと寝たいと思う。

祖母が使う「かわいい」という言葉

両親が福岡に来た。祖母の様子を見るために定期的に来ているのだが、地元と比べると格段に都会である福岡を歩き回ることを楽しみにしているようで、いつもうきうきとしている様子が伝わってくる。今のところ、祖母の体調はすこぶる良いから、様子を見に来ると言っても顔を見せる程度のものだ。
 
父と母にとっては1ヶ月ぶりに赤ん坊と再会したのだが、この1ヶ月の間での変化に驚いているようだった。この数週間で赤ん坊はできることが増えて、彼女にとっても見える世界が変わってきているはずで、必然、その視線の動き方が、見ているものが、1ヶ月前とはずいぶん変わっている。母は、赤ん坊の表情が豊かになっていて、いろんなものに興味を示していることに喜んでいるようだった。今日は祖母、叔母、父、母、妻、僕とたくさんの大人に囲まれて赤ん坊はとても嬉しそうだった。感心なのは、誰に対しても笑顔を投げかけていることだ。まだ本格的には人見知りが始まっていないが、普段あまり接しない人に会っても泣くことはない。赤ん坊の愛想がいいから、それを囲む大人たちの表情も自然と柔らかくなる。
 
物忘れがひどくなっている祖母は、手首がシワが二重になっているとか、ムチムチして太かぁとか、頬が垂れているとか、同じことをそれぞれ十回以上は言っていた。だが、それ以上にかわいいという言葉を百回くらいは言っていたような気がするし、ずっと満面の笑顔だった。赤ん坊と同じく、祖母が笑顔であることも、僕らにとっては嬉しいことだ。
 
かわいいで思い出したけれど、糸井重里さんと芦田愛菜さんのSwitchで、糸井重里さんが『かわいい』という言葉は大好きだと言っていた。「かわいいというのは社会の酸素である」と。
「かわいい」という言葉はなんだか若者言葉のようにも感じてしまうところもあるが、祖母が使う「かわいい」は、それこそかわいい言葉だ。祖母の口から出てくるときの響きもいい。赤ん坊はかわいいとしか言いようがない存在ではあるが、祖母が使う「かわいい」はとても純度の高い「かわいい」だと思う。その「かわいい」には「かわいい」以外の何の意味も含まれていない。年齢からすれば一番多くの言葉を発しているはずの祖母だが、祖母の言葉は余計な意味が削ぎ落とされていってどんどん純化してるように思われる。

細野晴臣@都久志会館

今日は都久志会館細野晴臣さんのライブ。
 
3月の新アルバムの全容が明らかになっていくにつれて、今回のツアーへの期待も増していった。『Hochono House』。ファーストソロ・アルバム『Hosono House』の全曲セルフカバー。曲順は逆であるようだ。僕にとっては『Hosono House』が細野さんを本格的に好きになったきっかけでもあり、今でもよく聴く、数多い細野さんのアルバムの中でも最も好きなアルバムと言ってもいいくらい好きなアルバムである。そのアルバムを、今の細野さんがセルフカバーをする。期待せずにはいられようか。
 
ところが、今日の細野さんのライブはその期待を無視するかのように、今度アルバム出すんだけどさぁとさらっと言うくらいの感じで、いつもと同じ感じでライブは進行していく。『Hochno House』と言っていいのか『Hosono House』と言っていいのかわからないが、とにかく新アルバムに関連する曲は、アンコールあわせて3曲しかやっていなかったと思う。それ以外はここ数年の細野さんのライブの感じ。最初はゆったりめの曲から入り、途中オリジナルを数曲、バンドメンバーのグッドラックヘイワ高田漣さんのソロを挟んだあとの後半はブギウギ。いつもと何ら変わらなかった。
 
ただ、『Hochno House』/『Hosono House』からの3曲はとても良かった。中でも印象に残ったのは『住所不定無職低収入』で、聴いていると懐かしい感じがしてきて、この懐かしさはどこからきているのだろうと少し考えてみたら、Levon HelmのMidnight Rambleだった。8年前にウッドストックで観たLevon Helmのライブと雰囲気が似ているような感じがしたのである。そもそも『Hosono House』が好きになったのは、The Bandと似たものを感じたからだった(同じ時期にニューオリンズ音楽を聴いていた僕は、トロピカル3部作、特に『泰安洋行』でぶったまげることになった)。『住所不定無職低収入』には、亡くなる前に精力的に活躍していたLevon Helm Band、あとはThe Bandでもどちらかといえば再結成後の感じや『Moondog Matinee』を思い起こさる感じがある。あくまで個人的な印象だが、高田漣さんにはラリーキャンベルと同じようにバンマス的な立ち位置でバンドをまとめている印象を受けるし、グッドラックヘイワの野村さんが入ってからは、ガース・ハドソンやブライアン・ミッチェルのように音に深みを与えているように感じがある。
 
思えば、Levon HelmのThe Midnight Rambleも全く肩を張ったところがない自然体のライブで、それはThe Midnight RambleがLevonの家であり、日常の延長線上にあるものだったからかもしれない。週末にだけ自宅のスタジオで行われるライブ。日常の中のちょっとした非日常。日常の延長にあらわれす少しだけ派手な楽しみ、催し。
 
今回の細野さんの『住所不定無職低収入』からLevonのライブを思い出したが、細野さんのライブはLevonのライブ以上に自然体だ。観る側を一切緊張させない親しみやすさがある。アルバムを出したからといって特別なことはしない。いつもの細野さんだ。ライブ中はそのいつもの細野さんの音楽にただ身を委ねているだけでよい。

ハイハイするまでの過渡期

数日前の大安の日、雛人形を出した。
 
ここ数日の間にまた赤ん坊はぐっと成長したように感じている。
まだハイハイするまでには至っていないが、ハイハイしたくてたまらない感じが伝わってくる。最近では四つん這いの状態であることはほとんどない。四つん這いの状態から手と足を伸ばし、お尻を突き上げてヨガでいうところのダウンドッグや、そのままお尻を落としてプランクポーズのような体勢によくなっている。あっけらかんとした表情でその体勢に入るが、やはりきついのだろう、少し時間が経つとウ~ウ~とうなり始める。起きている時間の多くはその繰り返しだ。数秒目を離すだけで結構な距離を移動しているときがあって、実はハイハイしているんじゃないかと疑いたくなるが、おそらくまだ後ろ向きに進んでいるのだと思う。びっくりした表情を見せるとニタぁと笑う。目を離した隙に移動するのは確信犯か。
 
昨日は1つ驚いたことがあって、哺乳瓶を自分の手で持ちながら飲み、飲み干したら哺乳瓶をそのまま離した。今日はまた哺乳瓶を妻が支えながら飲んでいたが、ある程度ミルクが少なくなれば1人で持つことができるということだ。
数日前には顔が布団で隠れていたので驚いてすぐに布団をはがそうとすると、その瞬間自分で布団を持ち上げ、顔を見せて、また例のごとくニタぁと笑う。確信犯か。いたずら好きか。
 
赤ん坊は日に日にできることが多くなってきている。しかし、できることが多くなれば負担が減るかといえば決してそうではなく、むしろどんどん増えていく。いまは未経験ゾーンだが、ハイハイもできない今はまだ序の口で、ハイハイをし始めれば今の大変さでは済まないことは簡単に想像できる。
 
きっと、あっという間にハイハイをし始めることだろう。ハイハイができるようになったら、それが当たり前になる。もう元に戻ることはない。成長するということはそういうことだ。少なくとも赤ん坊の成長とはそうだと思う。不可逆。ハイハイをし始めたら、今のダウンドッグのようなポーズはもうしなくなるかもしれない。哺乳瓶を手で支えてあげるのも、あと数えるほどしかないのかもしれない。寝たままの時期を抜け、ハイハイ期に突入するまでの過渡期。初めて寝返りしたときのことや初めてハイハイをするときのことというのは後になっても覚えているだろうが、赤ん坊自信が必死に次の段階に進もうとしている時期、後から振り返ると何でもないこの時期というのは、思い出す引っ掛かりがないから、なかなか思い出すことはないかもしれない。でも、あのニタぁとする表情、ウ~ウ~とうなりながら必死に進もうとしている姿は、とてつもなく可愛いものなのだとここに書いて残しておきたい。