Life Itself

生活そのもの

2019/03/01

昨日の鍼灸のおかげか、昨夜は久しぶりにぐっすりと眠ることができ、腰痛があること以外は今日も1日体調は悪くなかった。
一度ヨガをサボってしまってから、最近はヨガをしたりしなかったり。毎日続けることは難しいが、止めることは本当に簡単で、しかも再開するのは結構なエネルギーを必要とする。体調が良くないから本当はヨガをした方がいいのだろうが、仕事後の疲れがひどく、ヨガマットを敷く気力がない。気が向いたときだけするようにしている。どこかでまたスイッチを入れなければいけないなぁなんて思っているのだけれど、思うくらいならまずやれってことだ。それが難しい。読んでいる人ももどかしく感じるだろうが、書いている本人ももどかしさを感じながら書いている。
 
ヨガをやったことない人からよく聞かれることだが、ヨガを始めてから体調が上向いたかと言われれば必ずしもそうではなくて、CT、MRI検査までして病院を何度も行くことになった睡眠障害というのか脳の神経の過敏症状が発症したのは、ヨガをし始めた後のことである。睡眠障害は他人にとっては大したことはないと思われるかもしれないけれど、それと付き合う僕自身にとっては大したことだし、眠ることができなくてもいいやとはならない。もはや眠る眠らないの問題ではなく、たとえ眠ることができても、睡眠時に症状が発症すれば、起床時の気分は絶望とまでは言わないまでも良いものではない。
 
ヨガをする前の僕は単純に眠ることができなかった。不眠症だった。しかし、ヨガをし始めてからは、眠ることができない日というのは確実に減っていって、眠ることができない日があっても悩むことはなくなった。
 
睡眠障害と発症した日から、ヨガを始める前に戻ったかというとそれは違う。ヨガを始めたと言ってもそんなに真剣にはやってこなかったから、自分に起こった何かがヨガが原因であるなんてことは言うことができないが、それでもヨガを始めたことで身体と心への向き合い方や考え方が変わったのは事実で、変化は確実に起こっている。ヨガをするようになってから、真我というものを意識することで(真我があると断定しているわけではない、想定し意識しているだけだ)、客観的に自分の身体を観察するようになった。医師ではないから症状の原因がどこにあるのかはわからないけれど、脳の神経が過敏になっていて、身体の「気」が脳にいってしまっているということ、そしてそれがどの程度のものであるかということ、つまりは症状そのものについてはある程度観察できているように思う。発症を抑えるには今のところ薬に頼るしかないのだけれど。
 
既に言ったように、睡眠障害自体は僕にとっては「大したこと」ではあるが、できる限りそれに囚われないようにしている。現象界における一時的なものでしかないのだと、言い方は悪いがヨガ哲学の考え方の一部をいいように解釈し、拝借させてもらっている。それで睡眠障害と付き合いながら生活ができている。僕はヨガに恩義がある。自分の都合のいいときだけヨガをして、ヨガの考え方を借りて、日々を生きている。ヨガをして体調が良くなったとはいうことはできないが、ヨガをしてよかったとは言い切ることができる。