Life Itself

生活そのもの

2019/07/15

娘と一緒に2時間の昼寝をした。その間は妻は風呂やトイレの掃除をしてくれていたらしく、感謝と申し訳ない気持ちだ。

娘は相変わらずまだ下痢で、少しずつ良くなっている感じはあるけれど、体調は万全ではない。だが、昼寝したのが良かったのか、前抱っこで天神まで出かけると娘は上機嫌で、あらゆる人に愛想よく接していた。バスの中では横の韓国人の綺麗な女性に笑いかけ握手をし、街に出てからは行ったほとんど全ての店で店員さんにニコニコして最後には手を振ってバイバイしていた。とんかつを買いに行って並んでいると、前にいたおばあさんにニコニコしてたらしく、何度も話しかけられては笑顔で返していたようだった。

娘の愛想の良さにはいつも感心する。愛想のよさは遺伝が関係しているのかは知らないが、もし関係しているとすれば、それは妻の遺伝子だ。子どもの頃から愛想がなく、可愛げがないと言われてきた僕ではない。結婚前から、妻はよく僕の愛想のなさをカバーしてくれている。実の祖母の家に行っても、僕は愛想よくすることができないので、妻が愛想よく接していると祖母は妻のことがお気に入りになった。それはとても喜ばしいことだ。 僕は愛想よくしようとしても、無理しているからなのか逆に人に警戒されてしまう。家系の中で、愛想がないのは僕と父くらいのものだ。 娘のことを見ていると、持って生まれた愛想の良さというものはあるのだと思う。愛想がなければないで僕はその子の気持ちをわかってあげることができるけれど、愛想がないと苦労することも多いので、愛想が良いのはいいことだ。