Life Itself

生活そのもの

初めての意味あることば

・今日は1日中赤ん坊が活発で、振り回される1日となった。


離乳食もだいぶ慣れてきて、まだ少し様子見ではあるものの、いろんなものを食べさせている。特に大きなアレルギーも出ることなく、毎日食べる量も増やしてきているのだが、今日は食べさせるのに苦労した。離乳食の献立を考え用意するのは妻で、朝と昼はそのまま妻が、夕方には僕が食べさせた。食べさせるのに苦労するのは毎食のことで、口に含んだかと思えばすぐに吐き出したり、途中でイヤイヤと言って食べなくなったりするのだが、今日はそれだけでなく食べている間、ベビーチェアの座部の上に立つのである。危ないからやめさせようとするのだが、頑として膝を曲げようとせず、そのまま身を前の方に乗り出して離乳食を触ろうとしたり、体を回転させたりと食べさせることもままならない状態であった。一応、ベビーチェアには安全用ベルトを巻きつけてはいるのだけれど、ベビーチェアに備えついていたものでないせいか、あまり役に立っておらず、赤ん坊はベビーチェアに立ち放題、動き放題、もうついには離乳食の器に手が届いてしまってベビーチェアの周りはぐちゃぐちゃべちゃべちゃになってしまった。今日は三食とも完食させることができなかった。ベビーチェアに立ってしまうのは本当に危ないので、早急に対策を考えないといけない。     


・赤ん坊につねられて「痛い痛い痛い」と言うと、彼女はとても嬉しそうな顔をする。つねられると本当に痛いから僕としては赤ん坊を喜ばせているつもりはないし(もっとも痛い顔をしているとき赤ん坊にとって面白い変な顔になっていることは大いにあると思うけれど)、「痛い痛い痛い」というのは反応として出る声で割と大きな声量であると思うのだが、それに対して好意的な反応を見せるというのは不思議だ。ここ数日は、僕や妻の「痛い痛い痛い」の反応を見るがためにつねることをしているようで、つねった後に見せる表情はきゃっきゃっと笑うのではなく、ヘェーっと興味を示すような笑い方をして、そのあと「ィタイィタイィタイ」と言う。たぶん「痛い痛い痛い」と言っているのを真似しているだと思う。だとすれば、赤ん坊にとっての初めて発したことばは「痛い」ということになる。

初めてのことばが「痛い」というのはなんだか複雑な気持ちではあるけれど、赤ん坊はとても大事そうに「ィタイ」と言う。「痛い」というのが何を示すのかきちんとわかってはいないと思うが、赤ん坊がつねったとき妻も僕も口にすることばであり、何かしら意味があると思って口にしているのだろう。「ィタイ」は、今まで単につぶやいていた「まんま」や「ばぁばぁ」といったことばとは違って、赤ん坊にとって初めて意味のあることばなのかもしれない。