Life Itself

生活そのもの

2019/01/16

2日経過しただけでもう今さら感があるけれど、一昨日、成人式に出席したであろう着飾った若者たちを見て、僕も出席した当時のことを思い出していた。僕は中学から親元を離れて寮に入ったから、地元の成人式に行くのか、それとも中高を過ごした地で成人式に出るのか迷ったのだけれど、それぞれ別々の日に開催されたこともあって、2つの成人式に出ることができた。だからお得感がある、なんてことはないかもしれないが、成人式の会場(会場というよりは会場の周辺だ)はやはり圧倒されるほどの活気があって、2つの異なる場に行けたというのは楽しかった。中高の友人は、卒業して2年そこらしか経っていないから、成人式で会って久しぶりなんて言っても髪型が変わっているくらいしか変化はなくて、それでも当人たちにとっては大きな変化を感じていて、僕も「わい、なんやその髭は」「なんやそん髪型は」「腹でたっちゃなかや」なんて言いながら、本当に大したことではないのだけれどその変化を言葉に出した記憶がある。
地元の成人式では、小学校卒業以来に会う友人も結構いて、男はどこか面影があってわかることが多かったが、女は化粧もしていて雰囲気が変わっているので声を掛けられても全く気づかなかった。声を掛けられるくらいだから、向こうはすぐに僕だと認識できたわけで、声を掛けられるたびに小学校からあまり変わっていないのかと少しショックだった。
 
いま書きながら思い出した。地元の成人式が終わった後、僕はスーツ姿でそのまま病院に向かった。癌で入院していた祖母に会いに行ったのだ。どんな会話をしたのかほとんど覚えていないが、「そうね、今日は成人式やったとね」と言われ、少しお小遣いをもらったように記憶している。考えれば、当時祖母は癌が見つかって手術を受けてからそんなに期間は空いておらず、抗がん剤治療中の時期だったはずだ。体はもちろん、精神的にもきつかったに違いない。そんなときに晴れ姿で病院に行くのはどうだったのだろうか。祖母はそのとき何を思っていたのだろう。僕は祖母が大好きだったから、祖母が癌だと知ってショックだった。だから、晴れ姿を見せて元気づけたい気持ちがあった。ショックだったのは僕の感情で、晴れ姿を見てもらえば元気になると思ったのも僕だ。
祖母はそれから1年半ほど闘病して亡くなった。
祖母には成人式を含めてそれから数回しか会うことができなかった。晴れ姿を見せたかったのは僕のエゴだったかもしれないが、成人式だろうが普通の日であろうが、祖母には会えるときに会っておくべきだった。成人式の日に病院に行ったことは後悔すべきではないと思う。もっともっと祖母に会いたかったし、いまでも会いたい。話したい。この思いはエゴの一言で片付けるべきのものではない。
 
何気なく書いた成人式のことだったが、思いがけずもその日の祖母の記憶が蘇ってきた。祖母のことを想うといつも心が温かくなるのが不思議だ。祖母は亡くなったが、僕の頭がしっかりしている限り、祖母との思い出がなくなることはない。