Life Itself

生活そのもの

2018/11/01

ランチでとてもジャンキーなものを食べた。久しぶりに食べた。バーガーキングハンバーガーだ。妻が博多駅に行くと聞いて、とてつもなくバーガーキングハンバーガーが食べたくなって買ってきてもらった。
 
その後、テレビを観ながら横になっているといつの間にか寝ていた。僕は寝たらほぼ必ず夢を見るのだけれど、起きたあとまでその内容を覚えていることはほとんどない。映像すら残っていることもない。夢を見たという実感が残っている、夢を見たという記憶があるだけだ。
バーガーキングハンバーガーを食べたこととはきっと関係はないが、今日見た夢のことは起きたあとにもしっかり覚えていた。別に面白くともなんともないが、あまりないことなので、今日の日記として残しておく。
 
タクシーに乗って家まで帰った。ところが僕には持ち合わせがなくて、一旦家に帰ってお金を取ってくることをタクシーに告げた。そのタクシーの運転手は、芸人「馬鹿よ貴方は」の平井“ファラオ”光だった。もちろん彼には会ったことはなければ、ライブなどでも見たこともない。嫌いな芸人ではないが、特段好きな芸人でもない。とにかく、平井“ファラオ”光は僕がお金を取ってくるのを待っていてくれた。
僕がお金を取りに戻った家は、かつて住んでいたマンションだった。僕が生まれてすぐあとに引っ越して、12歳まで家族と住んでいた。今は亡くなった猫も、その後に飼っている今の猫も住んだし、祖母が何回も遊びに来た家だ。
僕がお金を取りに帰ったとき、家の中には誰もいなかった。夕方だった。電気は消えていたが、差している西日が家の中を明るくしていた。なぜか僕は寂しさを感じながら、家の中のタンスから千円札を取ってすぐに家を出て、タクシーのもとに戻った。夢は千円札を平井“ファラオ”光に渡したところで終わった。
 
夢から覚めたあと、ずっと夢の中で感じた寂しさが残っていた。その寂しさの正体はわからないが、夢から覚めたあとはその寂しさとは別の寂しさが襲ってきた。なぜ僕は千円札を取るだけで家の中をもっと見て回らなかったのだろう。久しぶりに昔の家の中に入ったのだ。夢だったからこそ、家はとてもリアルだった。僕は何も疑うことなく家に入っていったし、夕方の家の感じは昔いたときのままだった。もっと家の奥まで行っていれば、亡くなった猫か今の猫かはわからないが、猫がいたはずだ。
夢のことを後悔しても仕方がない。
 
ところで、「馬鹿よ貴方は」は北野オフィスを離れ、いまはサンミュージックに移籍しているようだ。数年前は平井“ファラオ”光をよくテレビで観たが、最近は全く観ることはない。