Life Itself

生活そのもの

2018/09/30

数日前のストレスが今もまだ続いている。1日中イラつくことはないけれど、思い出しては心がざわつく。ヨガをやっている間ですら、呼吸と呼吸の合間にイラッがやってくる。何がそうイライラとさせるのか、よくわからないところがある。だが、あるものに対して極度の嫌悪感を抱いていて、これまでとても密接に関わってきたものから離れたいという気持ちが出てきている。今頃出た反抗期か?そうかもしれない。しかし日々の生活にまであまりにもずっぽりと入っていたものだけに、それに対してこれほどの嫌悪感を抱くというのもなんだかなぁ、大人げないなぁとそんな感じで。自分に対しても少しイライラしているのである。
 
昨日、妻から僕は生活を全く犠牲にしていないと言われた。それもまさにそのとおりで、大いに反省すべきところであるのだけれど、今の豆腐のメンタルにはぐさっと突き刺さった。どストレートの正論。何も言い返すことができないほどの正論。ぐふ。おほほ。あはは。笑ってはいけない。この点に関してはただただ反省すべきで、休みの日はもっと妻のことを支えにゃあならん。そらそうだ。いや、支えるという言い方がだめなのだろう。僕も一緒に育児をしないとあかん。あかんと言ってもだめだ。僕も育児を楽しみましょう、きっとそういうことだ。
ずっと赤ん坊が可愛いことには変わらんのだが、僕は傍観者であったのかもしれない。
 
数日前から町田康を読んでいるのがなんだか救いであるような気がする。文章のリズムは心は揺さぶり、そして体まで揺さぶる。僕は揺さぶられて、心も体もほぐれ、少しマシになった気がする。少し町田康っぽく書いてみると僕も気持ちがいい。