Life Itself

生活そのもの

2018/12/09

昨日、壁紙の張り替えで家がすっきりしたことを機に、ずっと保留になっていたベッドの移動を行うことになった。同じマンションの別フロアに住む祖母の家への移動で、今後は父が福岡に泊まるときのためのベッドとなる。
 
今まで僕はそのベッドで寝ていた。というのも、赤ん坊がいつ夜泣きするかわからないことから、ベッドを別部屋に置き、そこで寝るようにしていたのだ。いつ始まるか、そもそもあるのかすらわからないが、赤ん坊の夜泣きに備えそこで寝起きし、そして夜泣きが終わるタイミングで移動する予定にしていた。ところが、昨日の勢いで僕の寝場所がなくなってしまった。
 
赤ん坊と妻と同じ部屋で寝るしか仕方がなくなり、昨夜から一緒に寝ることになった。
環境が変わったからかなかなか寝付けることができなくて、また寝てからも何度も目が覚めた。目が覚めるたびに赤ん坊の寝息が気になる。寝息の音の大きさではなく、その小ささに対してである。耳を澄ましてようやくわかる程度で、それが妻の寝息か赤ん坊の寝息か判然としないが、寝息が聞こえることに安心してようやく一眠り。その一眠りも長くは続かず、すぐに目を覚ましてはまた寝息に耳を立てる。その繰り返しを無意識にか自動的に行う。そんなだから、夢のなかででも赤ん坊の寝息を確認していて、夢と現の間にずっといるような感じだった。
早朝、赤ん坊の泣き声で夢現から目が覚めた。泣くということは元気である証拠だ。目は覚めたが、そこで夢現から解放されて、妻がもそもそと動いて赤ん坊をあやし始めると心から安心し、やっと熟睡することができた。熟睡時間2時間足らず。まぁ、そんなものだろう。
 
起きたときにすぐ横に赤ん坊と妻がいるというのは、寝不足であっても幸福感を覚えるものである。今日一日、忙しく仕事していたが、幸福感からかいつもより疲れは感じなかった。ナチュラルハイなのかもしれない。昼休み時には買い物に来た妻と赤ん坊と一緒にランチを食べたのも良かった。