Life Itself

生活そのもの

十数年振りの分人

平野啓一郎の分人主義の観点から考えると、今の僕という円グラフの中で割合がもっとも大きく、また一番心地がいい分人は、妻と子どもの家族と一緒にいるときの自分である。
しかし、いま僕の中には数パターンしか分人は顔を出していなくて、家族との分人が50%、仕事での分人が20%、父・母との分人が10%、ヨガ関連の分人が10%、叔母、祖母、従兄弟家族との分人が5%、残り5%を店員さんなど見知らぬ人との分人といった感じだ。今のところストレスのかかる分人は自分の中に抱えていないように思う。
 
前職のときの分人、そのときは今の妻とも一緒に住んでいなかったからおそらく50%くらい占めていたと思うけれど、とても無理して作り上げていた分人だと思う。接客業だったから、普段の根暗の自分をできる限り隠して外向きの自分を作っていた。それでも、その時つながりができたお客さんでより親しくなると、より無理のない分人を新たに作って接することができていて、そのときはとても心地がよく楽しかった。今はそういった無理をして外向きの自分を作ることがないから、たまに夢に出てきたり、懐かしく、恋しくなることもある。そういった分人は多少無理があっても、他の分人に対して少しずつ刺激を与えていて、僕という個人全体がバランスがとれてよくなったりもする。
 
人間関係や環境が変わると分人の割合や、新しく分人が作られたり、逆に分人がいなくなったりするけれど、一度作られた分人というのは完全になくなることはない。
 
一昨年に小学校の同窓会があって、その時小学校の友人と接している自分の感じというのがとても新鮮に感じた。なんせ小学校のときの分人とは、18年ぶりの再会だったのである。僕は中学で親元を離れて寮生活を始めたから、それ以来、特定の友人を除いて、小学校の同級生と会うことはなくなってしまった。だから、小学校を卒業すると同時に小学校の友人用の分人はなくなり、新しい中学校用の分人を作らざるを得なくなったのである。同窓会に行って、自然と小学校のときの話し方に戻っていた。それは地元の方言だった。中学校に入って、知らず知らずのうちに方言を抑えた分人を作って、それ以降、地元の方言を話すことはなくなっていたのである。小学校の友人と接するときの自分というのはとても口が悪くて、バカができて、冗談を言うことができる分人だった。今の僕の中でそういった性質の分人が出ることはない。
 
小学校以来18年間出ることがなかった分人が、小学校の友人と話すだけで完全に戻ったのである。以来、僕にとって小学校の友人と接することが楽しみになった。それは小学校のときの自分の分人が出てきてほしいからでもある。