Life Itself

生活そのもの

2018/11/09

今週は忙しくなりそうな感じだったが、予想していたよりは余裕があって、今日は自宅で勤務を行うことができた。
昨日、仕事に行っている間の9,10時間赤ん坊の顔を見ていないことが、赤ん坊が僕を人見知りしている原因ではないかと書いたが、今日は自宅勤務で1時間毎くらいで赤ん坊の顔を見ることができて、僕の顔を見て泣くという、僕にとってはいささかショックの大きすぎる反応は今のところない。
 
みうらじゅんだったかな、子育ては赤ん坊とどれだけ一緒にいるかだ、とどこかで書いていたかインタビューに答えていたけれど、そのとおりなのだと思う。赤ん坊は妻のお腹で育って、妻が生んだわけだけれど、僕と妻とでは赤ん坊と一緒に過ごしている時間に大きな差がある。それは妻が自分を犠牲にして進んでやってくれている結果ではあるのだけれど、ずっと一緒に横にいてくれる人と、たまに接してくれる顔の濃くて大きなお父さんみたいな人では、反応に差があって当たり前のことである。
 
だからと言って、僕が1日中赤ん坊の横にいることができるかと言われれば、それはとてもむずかしいのだけれど。なんせ数時間赤ん坊と過ごすだけで、赤ん坊は泣きに泣き、僕はどうすることもできなくなる。改めて妻には感謝しかない。
 
赤ん坊にとっての僕が、顔が濃くて大きい人ではなくて、お父さんかな、これだけここにいて一緒にいてくれるってことはお父さんだろうねと思われるくらいには、赤ん坊と接する時間を増やしたい。それがどれくらいの時間かはわからないが、赤ん坊の反応が全てだ。
 
そう考えると、自宅勤務を利用できる環境というのはつくづくありがたい。仕事をしながら、赤ん坊と接することができるのだから。でも、家業でも自宅勤務ができるように制度を整えるのは難しいなぁ。育児休暇を取りやすくするくらいはできるかもしれない。少し考えていく必要がある。