Life Itself

生活そのもの

2018/11/06

このブログで日記を書き始めて、昨日で丸1年が経過した。もともと毎日書くつもりで始めはしたけれど、本当に毎日書くことができるか一番疑っていたのは僕自身であった。これまで何度も日記を書いては途中で止め、また書き始めるということを繰り返してきた。最初の数ページしか使っていないノートが少なくとも5冊はあるはずだ。
毎日書き続け、結果的に1年も続いているというのは、1つはおそらくブログという形で公開しているのがいいのだろうと思う。僕のブログを読んでいるのは僕だけではない。どこからアクセスしてくれているのかはわからないけれど、こんなつまらない日記でもアクセスしてくれることはあるし(アクセスするだけで読んでいない可能性も大いにあるけれど)、たまにアクセス数が多くなることだってある。読まれることを前提で書くわけではないけれど、その可能性があるというだけでも、書かなければという気持ちが少し出てくる。
しかし、ここまで続いた一番の理由は、書かないと気持ちが悪くなるくらいまで習慣づいたということだ。いつからかは覚えていないけれど、日記を書き続けて数ヶ月が経過した頃から、仕事から帰ってきて机に座り、その日の日記を書くということが当たり前のことになっていて、何らかの理由で22時くらいの時点でもまだ日記を書き始めることができていないと、なんだかそわそわとするようになってきた。もちろん書く内容が満足いくものであればいいけれど、そうでなくてもとりあえず書く。1行であっても書く。書くことでようやく1日が終わるように感じるようになった。
 
これから先、どれだけ続くかはわからない。だが、書くことが習慣化した今、続けるという意識そのものはなくしてもよさそうだ。日記を書くときは、書き始めるまで5分とかからない。毎日書いていても、ネタがないということはないのだ。特に赤ん坊と暮らし始めてから、毎日何かしら発見があるので、ネタに困ることはなくなった。マンネリ化しないためにも、これからは、書き方を少しずつ変えていってもいいのかもしれない。写真を載せる、動画を載せる、書く内容自体を変える。どうするかはわからないが、自分が読み返すものでもあるので、少しでも面白いに越したことはない。