Life Itself

生活そのもの

2018/06/29

昨日おしるしが出て以降、微量の出血があるらしいが、それは陣痛がいつ始まってもおかしくないという兆候であるわけで、今まで以上に気を使って生活をしている。行動範囲を狭くせざるを得ないし、長い間外に出るわけにもいかない。
赤ん坊はというと、さっきもしばらくの間、お腹の中でしゃっくりをしていた。とても元気である。
 
毎日書くことは、出産を「待つ」ということだけで、それは実際に産まれるまで続くだろう。家にいてもじっとしているだけなので、時間は山ほどあるのだが、本を読むか、テレビや映画を観るしかない。赤ん坊が産まれても仕事以外の時間のほとんどは家にいることになるだろうが、たとえ少しの自由時間ができても、同じように本を読むか、映画を観るかということになるだろう。映画館にまで映画を観に行くというのはしばらくできないかもしれない。明日から『The Last Waltz』の上映が始まるが、それはもう諦めている。
 
出産を間近に迎えるこの時期から、時間の使い方は赤ん坊中心になっている。だからと言って、何の不満もない。赤ん坊が産まれて生活がどれだけ変わり、大変になるかはわからないが、どのようなものであっても、その生活を受け入れるしかない。来る未来を、今はもうただ待つしかない。
どうせ待つなら、ワクワクしながら楽しみに待とうではないか。そういった気持である。