Life Itself

生活そのもの

2018/06/07

『なずな』と『白鯨』を同時に読み進めている。どちらかといえば、『なずな』を読む時間の方が長い。

『なずな』を読むことで心が安定していく。本を読んだ後は心が晴れやかになっていることに気づく。

先日、『はじめての育児』という本を中古で購入したのだが、沐浴の仕方のページや赤ん坊の成長についてのページだけを眺めておけばいいものを、病気のところを読んでしまい余計な心配をしてしまう。母親譲りの極度の心配性な質で、一度心配な気持ちになってしまうとクヨクヨと考えてしまう。まだ産まれてもいないのに考えても仕方がないとわかっていても考える。『はじめての育児』自体はとてもいい本だ。それに、可能性のある病気について予め知識をつけることも悪いことではない。だが、僕の場合、知ることで留めておけばいいものを、自分の方へ引き寄せて考えてしまうのだ。あまり良くない。

 

『なずな』の中で、主人公である男性は1人で生後2ヶ月半の赤ん坊を育てている。今日読んだ箇所では、赤ん坊に熱が出て、慌てて病院に行くというところであった。赤ん坊の高熱は良くないことであるらしい。それで病院に電話をして、すぐに向かったのだが、大したことはなかった。主人公の男性と仲がよい医師は、主人公に対して、赤ん坊のことになると、せっかちになることを指摘する(それでも、高熱が出た時点で病院にい連れて行くこと自体は正しい行為だと言う)。

赤ん坊に熱が出るくだりは読んでいると少しハラハラもするのだが、主人公が慌てて病院に連れて行ってから医師が大したことはないという流れを読むとホッとするのだ。単に主人公に感情移入しているだけなのか、小説の中とはいえ医師の言葉に安心しているのか(医師から大丈夫と言われるときほど安心するものもない)、何に対してホッとしているのかはよくわからない。だが、確実に言えるのは、『なずな』を読むと、赤ん坊と一緒にいることの日常が見えてくるということ。赤ん坊が産まれても日常は日常であり続けるということだ。赤ん坊が産まれた後、日常が非日常になるということはない。日常のあり方は少し変わるかもしれないが、日常は続いていくのだということ。未体験のものを目の前にすると、日常から少し離れてしまいがちになる。『はじめての育児』を読んでいると、なぜか日常の視点で赤ん坊のいる生活を捉えにくい。それで不安になりやすいのかもしれない。

 

物語の力というのは、やはりすごい。堀江敏幸さん、すごい。