Life Itself

生活そのもの

2018/04/05

昼に妻から「胎動がなーい」と、呑気な書き方ではあるがもしかしたら平静を装っているだけではないかと勘ぐりたくなるようなそのメールを読んだ瞬間焦りが生じて、珈琲を出してもらうタイミングではあったがその場ですぐに電話をした。ずっと胎動がないというわけではなく、朝の7時以降ない、言い換えれば7時にはあったということだった。それで気持ちはだいぶ落ち着いたが、その後も胎動があったらすぐに知らせるように言って、なかなか読んでいる本にも集中できなかった。

何があっても動じないようにできればいいのだけれど、僕がしてもそれはただのフリであって、でも胎動がないと言われて少しも動じないという人は少ないのではないか。その時「大丈夫だよ」と言って妻の気持ちを和らげるのも大事だとは思うけれど、僕は胎動がないか一緒に気にしたい。

出産の時期が近づいてくるにつれて、妻自身の体調やお腹の子どもに関することばに対してすごく敏感に、重みを感じるようになっている。当然のことだ。それにも関わらず、出産後の用意などは妻に任せっきりなんだけれど。

 

昨日、ご夫婦で営んでいるカレー屋に行った。家から割と近いので、1月に一度くらい行っている。1年ほど前に息子さんが産まれたので、最近は行くたびに出産や育児について相談している。昨日も妻が奥さんからいろいろと話を聞いていた。行くごとに妻が聞くことがより具体的になってきていて、出産への準備をしっかり進めているのだと感心する。僕も準備を進めていかなければ!入院して出産をするのは妻なのだから、僕が把握しておかなければならない。たぶん妻は心配になっていることだろう。不安そうにしている妻の顔を見て、そういうときだけは「大丈夫だよ」と声をかけるのだが、そのことばが妻に響かないのは言うまでもない。