Life Itself

生活そのもの

2018/02/21

月1度、ヨガの座学の勉強会(ヨガスートラの勉強会)に参加している。普段のヨガも教えてもらっている先生が主催している。

前回、ヨガスートラの第3章24節「象の強さに対してなど、どんな形であろうと強さに対してサンヤマを行えば、この強さを得ることができる。」(『現代人のためのヨーガ・スートラ』訳)を、実際に瞑想してみてくださいと言われた。サンヤマとは、ダーラナ(集中)、ディヤーナ(気付きの継続)、サマーディ(三昧)を同時に行うことである。

 

実際に強さを得ることができるかどうかは別にして、この瞑想は非常に面白かった。

 

もしかしたらここでも書いたかもしれないが、たい焼きを買って食べながら公園を歩いていて、鳶にたい焼きをかっさらわれたことがあった。背後から飛んできた鳶に蹴られた(おそらく足で掴み損ねた)たい焼きは勢いよく前方10メートルあたりに飛んでいったのだが、あまりにも突然なことで、何が起こったのかすぐに判断できなかった。数秒後、旋回しながらトンビがたい焼きに寄っていって、その時鳶にたい焼きを奪われたことに気づいた。

僕は妻(当時は彼女)と一緒に歩いていて、彼女も同じようにたい焼きを食べていたのだが、なぜか僕のたい焼きだけが狙われた。たぶん僕の方が隙があったのだろう。

 

僕はその瞑想の時、あのトンビになった姿を想像した。

日が落ちるまであと数時間。腹は減っている。何か獲物がないか旋回する。公園は大きくて人も多い。ジョギングやサイクリングをしている人間が多いが、よく食べ物を食べている人間もいるので、チャンスは多い。あとはどう奪うかだ。警戒心の薄い人間から奪うのがよい。旋回していると、真ん中の池を見ながらおにぎりを食べている人間、こいつはもうすぐ食べ終わりそうだ。コンビニで買ったお菓子を食べている女。お菓子には当たりハズレがあるからパスだ。カフェで買ったケーキを食べている人間もいる。数数人ほどいそうだ。しかしあの食べ物はもう食べ飽きた。できれば他の物がいい。さらに旋回してみよう。あそこに公園に入ろうとしている2人の人間がいる。何やら食べ物を持っている。上品な甘い匂いがする。あれは餡子の匂いだ。まだ温かそうだ。公園の入り口の近くに近くに餡子の入った食べ物、たい焼きと言っていたか、が売っているのを知っているが、そのまま持ち帰る人間が多く、ほとんど食べたことがない。あれがいい。2人いるから奪いやすい。こっちの姿は目に入っていないようなので、あとはどっちを狙うかだ。外側を歩いている男の方が狙いやすそうだ。女はたいやきを両手で持って食べているので後ろからは奪いにくいが、男は右手だけで食べているので、右側背後から行けば奪うのは容易いだろう。ゆっくり旋回して様子を見よう。一度口に入れた直後、咀嚼している間がチャンスだ。黒い餡子が見えて、湯気がたっている。うまそうだ。たい焼きを奪うことができる機会はそうない。あまり食べていないうちに奪いたいものだ。焦ってはいけない。2人は話に夢中でなかなか口に入れようとしない。他の鳶が来たら面倒だ、早く口に入れろ。強引に女の方にいくのもありかもしれない。いや、男の方が隙がある。口に入れた後に行けば必ず奪うことができる。口に入れた!早く口から離せ。もう少し外側に手をもってこい。もう男の右後ろ30メートル付近まで来ているのだ。よし、今だ!この突進している瞬間、この風が一番好きだ。などと思っていたらたい焼きを掴み損ねた。たい焼きは10メートルほど先まで飛んでしまった。男は驚いている。臆病そうな男だ。あいつの見える低い位置で旋回すれば、もう諦めるだろう。ほら見ろ。女ともども怖がった顔をしている。あとは優雅にたい焼きを奪っておさらばだ。今日は運がいい。

 

と、まぁこんな感じで鳶の立場から当時のことを想像したのだが、非常に楽しかった。鳶の嗅覚とか、視界とか、実際に飛ぶことで感じる風だとか、想像しようとしても限界はあるのだが、想像しながらたい焼きの匂いを思い出し、いつもと違う視点や速度から公園を眺めることができて、少しだけ鳶になったような気がした。