Life Itself

生活そのもの

2017/12/06

12月も早くも1週間が過ぎようとしている。本当に早い。

最近では仕事が忙しいということもあって、あっという間に定時を迎えていつの間にか家にいるということが多い。たぶん仕事はこの感じのまま月末まで続くことだろうと思う。忙しいからといって仕事が楽しくないわけではない、むしろ楽しい。ただ毎日何かしらの発見があるかと言えば、そういうわけではない。仕事にも慣れ、ある程度周りに迷惑をかけることなく業務をできるようにはなっているが、何にもつかえることなく流れるように仕事をするようになると、立ち止まって考えるということが少なくなってくる。1日の中でやらなければならない仕事の量は決まっていて、それを時間内に終えるためにはある程度流れにそって仕事をしなければならないわけだが、過去の経験に倣ってその繰り返しで仕事をすると、思考が麻痺するような感覚に陥る。考えているのか考えていないのかわからなくなる。実際には考えなければ仕事をできないわけで考えていないということはあり得ないわけだが、おそらく考え方が型にはまってしまっている、条件付けされてきているということだ。仕事の内容に問題はないので、これがいいのか悪いのかはわからない。上長が、僕が型にはめて仕事をしてしまっていることに気づいているのかもわからない。

この仕事での思考方式は、家に帰るまでに一旦リセットさせたいといつも思っている。家に帰れば仕事のことはほとんど考えないが、家に帰るとすぐにその思考方式が完全にリセットされるかと言えば怪しい。言葉の使い方だけでも、仕事場での使い方をそのまま家に持ち帰っていることに気づくこともある。一度気づけば意識することでリセットすることができるが、気づかなければそれがそのまま定着する。仕事場でも、仕事以外でも言葉が与える影響というのは計り知れない。

帰りの電車の中で見るサラリーマンの顔の多くは、どこか仕事モードが抜け切れていない。まぁ、抜こうとしているかどうかはわからないのだけれど。仕事モードが抜け切れていないのはスーツを着ているから当たり前かもしれない、どこで誰が見ているかわからない、家に帰るまでは気を抜くことはできない。それはそうだ。

思考方式が一定化してしまうというのは恐ろしい。歳を重ねれば重ねるほど、一定化しやすくなる。人によっては、それを他人に押し付けてしまう。できるだけそれは避けたい。

 

昨日のヨガは2週間ぶりだったからか、呼吸を深くするということがきつかった。この2週間全くヨガをしていないというわけではない。毎日ではないけれど、気づいた時にするようにはしている。だが、レッスンの最初に一度呼吸を深くしただけで心拍数が上がり、頭全体に重さを感じた。レッスンが進むにつれ、徐々に呼吸を深くできるようにはなったが、この2週間の間、呼吸が浅くなっていたのだろう、深く呼吸するにはいつもよりもしっかりと意識をしなければならなかった。

ヨガのレッスンはいつでもそうだけれど、昨日は特に地面に向かって足を押すということを意識するようにと言われた。ポーズ(アサナ)によってはどちらかの足に重心がいき、もう片方の足を押すことを忘れがちだが、昨日は改めて両足に意識を向けるようにということだった。

レッスン中に膝をゆっくりと曲げてそれを伸ばすことを行ったが、膝が内側にはいってしまい、まっすぐ下に膝を曲げ伸ばすことができていないことを指摘された。普段の体の使い方、おそらくは歩き方などが大きく関係しているのだろう。体の使い方に極端な癖がついていないければしばらくは大丈夫かもしれないが、ちょっとした癖でもそのまま年月を重ねると症状として現れて治療が必要になる。

 

思考でも体でも、自らが作ってしまった方式・癖に気づくというのがいかに難しいか。 

 

昨日のブログ坂本龍一『async』を外で聴くことで新たな発見があったということを書いたが、それまでは『async』部屋で聴くべきものだという考え方にとらわれていた。どこからそのような考え方が生まれてしまったのかすら自分ではわからないほどに、無意識で何かしらの決めつけを行ってしまっている。