Life Itself

生活そのもの

2017/11/29

月一度通院している。今日がその日だった。大げさなことでもなく、30歳を過ぎれば体に何かが症状として現れることは何ら不思議ではない。僕の場合は、つい先日も書いた寝る時の体のピクつきである。寝に入る瞬間に体のどこかの筋肉がピクつき、睡眠を阻害する。加えて、寝に入るその瞬間に何かしらの映像が襲いかかってくる(浮かび上がるのではない、襲いかかってくる)。ピクつきのせいなのか、襲いかかるその映像のせいなのか、心拍数が大きく上がる。それは布団に入ってから通常4時間ほど何度も繰り返される。体は眠いので何度も寝に入るが、その度に症状が現れて眠ることができない。4時間ほどその症状が繰り返し起こったら、いつのまにか眠っている。

この症状を抑えるために、月一度通院し、薬をもらっている。これまで脳のCT検査も行ったし、血液検査も行った。原因は不明だという。薬があっていて今のところ症状を抑えることができているので、継続するようにと言われている。この症状は抑えておかなければ癖がついてしまうというようなことを医者は言っていた。薬に依存性はないらしいが、薬を飲んで抑え込むということに依存してしまっているような感覚もある。

 

何人かの人にこの症状のことを相談した。みんな何かしらを抱えながら生きている。ある人はそれを個性として捉えなさいと言った。ある人は眠れなければ眠らなくてもいいんじゃないと言った。

 

薬を飲むと、飲まないときよりは熟睡できる。が、毎晩夢を見る。 

昨夜は娘に会った夢を見た。まだ会ったこともない娘。妻が子宮内に宿した性別もわからぬ子供。息子かもしれないが、夢の中では娘だった。娘は可愛くて、娘は娘らしい感じで(姪っ子のようでもあった)、僕は彼女と話をしていた。娘は何かを僕に語りかけていた。なんと語りかけたのかは覚えていない。何か伝えたいことがあったのだろうか。切迫した感じはなかった。愛らしく、子供らしく、何か興味深いものを発見したことを伝えるかのように語りかけているようだった。とても心地のいい夢だった。非常に難しい時期なので、朝起きた時に妻にその夢のことを伝えるか迷ったが、その心地よい感覚を残したまま、夢の内容を話した。

 

人は何かしらを抱えながら生きている。家族と向き合い、限られたお金と向き合い、仕事と向き合い、体ときには病と向き合う。自分の外部のものを、内部のものを対象化して。

向き合うのではなく、対象化するのではなく、同じ方向を見るようにして、寄り添うように生きることはできないものか。視線を合わせるのではなく、同じ方向を見るように。

病気は体に潜む。放っておけば、時に知覚できるものとして現れる。知覚できるものとして現れれば向き合わざるを得ない。どう捉えるべきか。

 

-------------------------------

昔から寝ることが好きではなかった。夢を必ず見た。悪夢を見ることも多かった。夢を見るのが嫌になって寝つきが悪くなった。寝る前、自分が見る可能性がある悪夢を全て思い浮かべるようにした。幼少期は知っている言葉も少ないので、想像が言葉に縛られることがない。だから今では思いつかないようなことも想像していたと思う。動ける範囲は限られていたが、そこから様々なものを見ていた。自分の体ももっと身近だった。想像していたととして一つ覚えているのは、自分の知っていることが全て自分から離れてしまうことだった。両親が、弟が、祖母が祖父が、猫が、家が、祖母の家が、本が、ゲームが、佐世保が、世界そのものが。全てのものに対する執着心が強かったのかもしれない。そういった悪夢を想像しながら、1時間ほどして寝ることができた。

弟の世界はもっと開かれていた。体の扱い方もわかっていた。寝ることができないことを弟に相談すると、「呼吸を深くして何度も繰り返せばすぐに寝れるばい」と自慢するでもなく淡々と言った。すごいと思った。誰から教わったのか。その夜、呼吸を深くして繰り返してみた。すると、自分の本来の呼吸がわからなくなって混乱した。僕にはできなかった。

 -------------------------------

 

昔から何に対しても神経質だった。話すことも苦手だった。周りの友人に何事でも軽く話すことができれば楽だっただろうに、と思う。問題を抱え込み、対象化し、次第にそれを自らに宿していった。

 

武満徹は、自らのどもりのことを何度も言及していた。下記はそのうちの一節である。

 どもりは、しゃっくりやくしゃみ、嗤いや哭き声と近親関係にある。どもりの、論理性をたちきるような非連続の仕方は力強い。現代音楽の美学では反復というものは拒否される。そして、ますます人間というものから遠ざかり、方式の形骸となってしまう。

 どもりの偉大さは、反復にある。

 それは地球の回転、四季の繰り返し、人間の一生。宇宙のかたちづくる大きな生命のあらわれなのである。

(1971年 株式会社新潮社 武満徹『音、沈黙と測りあえるほどに』 吃音宣言=どもりのマニュフェスト pg70より)

 

ピクつきも反復である。また、睡眠に入るためのリズムである。導入に対抗するリズム。導入のためのリズム。「宇宙のかたちづくる大きな生命のあらわれ」。なんと勇気づけられる言葉だろう。