Life Itself

生活そのもの

物を売るときには複数社で査定額を比較すべきである

昨日、アメトーークかまいたちの山内が言っていた『スピリチュアル界からのメッセージ』のようなものを受け取って、急遽不要な服やサングラスなどを売ることを決心した。スピリチュアル界からのメッセージとは言っても怪しいものでもなんでもなくて、単に1通の営業メールを受け取っただけなのだが、営業を受けた物が、どうしても、いま、2019年2月のこの時期に手に入れておかなければならないものだったので、そのための資金集めをする必要が出てきたのである。特段、高額なものでもないのだが、育児をしている中で捻出するには少し厳しい金額だったので、タンスに眠ったままになっていて、ある程度金になることを見込める物を売ることにした。
 
結論から言うと、納得のいく金額で売ることができたのだが、売るに至るまでには紆余曲折があった。今回売ったのは、若者に人気ブランドの革ジャケット2着と、ハイブランドのバッグ、時計、そしてサングラスである。
半年以上前に、一度ブランド物を売りに行くことがあった。ディーゼルラッドミュージシャンジーンズ1着ずつである。そのときには、リセール業界では最大手で、ファッション物も取り扱うB社に最初に査定に出したところ、値段がつかないと言われてしまった。どちらのジーンズもダメージ加工がしてあって、それがキズモノと判断されたことが原因だった。「デザインです」と言っても聞く耳を持ってくれてなくて、泣く泣く持ち帰ろうとしていたところに、主にブランドのファッション物を取り扱うR社のショップの前をたまたま通りかかって、ダメ元で査定に出したところ2着で7千円ほどで売ることができた。
 
以前こういうことがあったから、今回は最初からR社のショップに査定に出すことを決めていた。最低ラインは決めていて、もしそのラインに届かなければ弟にあげるか、もしくは気は進まないけれどメルカリなどで売ることを考慮するつもりだった。査定に出す点数も多かったことから、査定に要した時間は1時間弱。妻と僕それぞれで時間を潰し、1時間後にショップに行ったところ、買取価格として提示されたのは最低ラインとして設定していたものの5分の1にも届かない額だった。その買取価格となった理由について1つ1つ説明を受けて、どれも納得できるものではあったが、金額自体にはとても納得できなかったので、一度持ち帰ることにした。ショックと疲れで意気消沈してしまっていたのだが、妻と相談して、前回ファッション物を売るには適さないと判断を下したB社に行ってみることにした。またB社で査定を待つこと1時間。1時間後に買取価格として提示されたのは、驚くことにR社の6倍の額だった。説明を受けるまでもなく、その価格に同意して売却決定。
 
R社とB社ではそもそも査定基準が全く異なるゆえの金額の違いだったのだろう。今回学んだことは、査定に出すのは1社だけでなくて複数社にして、比較して検討すべきだということだ。物によって、査定価格がまったく異なる。ダメ元でB社に行った時の査定金額を妻と見たときには、その予想外の金額に一瞬ふたりとも黙り込んでしまった。その前のB社の査定にがっかりした経験があるだけになおさらである。
 
査定に出すということも、金額を提示されるということも、その物を気に入り、愛着を持って使用していた側からすると、とても精神的に堪えるものだ。それを何度も繰り返すというのはきついことではあるけれど、惜しんで手放すということを考えると、ある程度納得のいく金額に近づけるように努めるべきである。僕はリセール業界に勤めていたことがあるのだが、査定金額を提示する側からしても、愛着を持って使用していたものであることが物の状態からうかがえればうかがえるほど、その愛着度に見合った金額を提示できないことに心苦しく感じるものだ。査定金額に納得できなくて持ち帰ることは全然問題ない。査定金額に納得できない状態で、他でもっと高く買ってくれる可能性を残して売ってしまうのはもったいない。そういったことは経験上わかっていたつもりだが、いち消費者の立場として物を手放すことなると、どうしても判断が難しくなるものだ。

フジロック第一弾

フジロックの第一弾ラインナップが発表された。パッと見る感じではJames Blake以外に観たいミュージシャンはいなかったのだが、GEORGE PORTER JR & FRIENDSはあのミーターズのベーシストということを知って、めちゃくちゃ行きたくなった(Gregory Porterだと勘違いしていた。いや、Gregory Porterでも一度は観てみたいんだけど)。ケミカル・ブラザーズは何度も観たって楽しいし、キュアーも3時間くらいやってたときにラスト30分だけ観たが、その時に周りにいたキュアー好きと思われる人たちの雰囲気含めてとても印象に残っている。今回のラインナップは悪くないどころか、とてもいい。あとはBeirutが来るのであれば行きたいと思っているだけれど..。公式サイトを見る限りだと、フジロックサマソニも可能性はありそうだが、どうだろう。
 
今日は海の中道までドライブしに行った。赤ん坊と一緒に公園まで行くつもりだったのだが、車を降りたときのあまりの寒さに断念した。さすがにこの時期は無謀すぎたか。また3月くらいに、少し暖かくなってからリベンジしたい。そのまま帰るのも気が進まなかったので、イオン香椎浜に行くことに。タワレコがあってようやく折坂悠太のCDを購入できたし、ミルクを買うこともできたし、赤ん坊に新しいおもちゃを見つけることができて、ドライブも無駄にはならなかった。
 
赤ん坊はリモコンが好きなようで、いつも手にとってかじろうとするのだが、さすがにそれはさせたくない。そう思って、この前アンパンマンのリモコンを購入してあげて、それはそれで気に入ってはくれているのだけれど、やはり気になるのは僕らが使う黒のリモコンなのである。アンパンマンのリモコンを手に持っている状態でも、黒のリモコンを見つけるとすぐにそれを取りにいこうとする。僕らが使っているから気になるのか、それとも黒のリモコンでなければいけないのか、とにかく新しいリモコンを見つけてあげたいというのが僕と妻の思いだったのだけれど、今日ベビザラスに行くと『いたずら1歳やりたい放題 ビッグ版』というおもちゃを見つけた。このおもちゃには黒のリモコンの他、ティッシュや、母親が掛けているメガネ、コンセントなど、赤ん坊が気になる(いたずらしたい)物がセットになっている。リモコンが黒でしかも長方形の握りやすそうな形というのが良かったし、ティッシュもこの前めちゃくちゃにされたばかり、スマホの充電ケーブルにはいつも手を伸ばそうとするなど、このおもちゃには赤ん坊が満足してくれそうな要素が詰まっていると見た。
帰宅後、さっそくおもちゃを与えてみると、気に入ってくれたようだった。特に黒のリモコンはずっとかじって、シールの部分がもうふやけてきてしまっている。このおもちゃでいたずらしなることを期待したいが、きっとそうはならないだろう。それでも、リモコン問題が一旦解決しただけでも良しとしたい。僕らが使うリモコンを見ても、自分の黒のリモコンをずっとかじっている。

2019/02/07

月に5回ほどではあるが、在宅勤務をするようになって、自宅の部屋で仕事をすることが多くなった。
このブログを始めるまでは自室で仕事をするのは難しいと思っていたが、そんなことはなかった。確かに誘惑も多いが、テレビを置いているわけではないし、極力スマホもいじらないように意識できている。それまでは外でないと集中できないと思っていたが、今では自宅の方がよほど集中できる。誘惑が多いのは外も同じことだ。集中するまでに時間を要する。自室の方が集中できるのは、家族の協力があってのことで、自室にいるときにはあまり干渉しないようにしてくれているからだ(妻にとって僕の部屋が物が多すぎるというのが、入ってこない理由なのではあるが)。
 
自室にいるとスピーカーで音楽を聴くことができるのがいい。イヤホンを使わない分、ただでさえ耳鳴りが多い耳に負担をかけなくて済む。CDやレコードで音楽を聴くのは楽しくて、あまりレコードを聴くことはできていないが、CDの数がどんどん増えてきた。最近気になっているのは、少し前のブログでも書いたように、折坂悠太と寺尾紗穂。Beirutは新譜が出たのでより一層聴くようになったし、Vampire WeekendやArctic Monkeysなど同世代のミュージシャンも気になっている。寺尾紗穂は結構前から名前だけは知っていたけれど、坂口恭平のバンドに参加していたことから本格的に興味を持って、昨年に購入したエッセイ『彗星の孤独』を最近になって読んでいる。このエッセイは風呂に入りながら読んでいるのだが、ちょうど昨日読んでいたところで坂口恭平の名前が出てきて、坂口恭平とバンドをしたときの前座が折坂悠太だったということを知った。折坂悠太は昨年のフジロックにも出ていたから、そこで観る機会があったのだ。昨年には折坂悠太という存在自体知らなかったから、たまたまステージの前を通りかかるとかではない限り観ることはなかっただろうが、観ることができたのに観のがしていたというのは悔しい。
彼も少し年下だが、同世代だ。僕は同世代の人と音楽の趣味が合ったことはあまりないのだが、折坂悠太の『無人島 ~俺の10枚~』ではThe BandやVan Morrisonを選んでいて、1世代上が好きだったような音楽を好んでいるようで、それでまた一層気になる存在となった。折坂悠太、いったい何者なのだ。

天気予報アプリの通知

ヤフー天気の通知が最近多い。
毎日のように、明日は5度高い予報です、明日は5度低い予報です、と繰り返し通知が届く。丁寧に通知してくれることはありがたいことなのだが、通知が来るたびに少し身構える、そして気温が変わる翌日のことについて、主には着る服に関してだが、思案する。身構えるということは、肩が少しすくみ、そこで力んでいるということだ。
 
警告めいた通知を受け取るたびに、それを受け流すことはできずに、前もって対応しようとする。その分疲れがたまる。
 
通知がなかったこれまでは、翌日の天気のことまでは気にしても気温まで気にすることは少なかったように思う。たまたま気温が下がることを知っても、よほどのことではない限り「ふ~ん」くらいで終わっていた。翌日の朝起きて、もしくは夜中の急な冷え込みによって、寒い、これはやばいな、と思っても、その場で対応するまでだ。
僕らは前もって通知を受け、身構え、対応することができるが、通知を受け取った時点でマインドは先に向かう。通知自体はとても便利なものだが、それに踊らされないようにしなければいけないな、と思う。地震や大雨など災害に関する通知はなければならないし、寒くなるといっても大寒波がくるのであれば通知はあるべきだろう。だが、5度程度の気温差であれば、朝、起きてからその日の天気予報を確認してからでも十分に間に合う。通知に対しては過度に反応しないほうがいい。
 
ここまで書いてヤフー天気の通知設定を確認してみると、気温差の通知条件がデフォルトで「5℃以上」になっていることがわかった。「7℃以上」や「9℃以上」などに設定ができるし、気温差についてのみ通知設定をオフにできる。通知設定のせいだったのね。

生後7ヶ月目

今日から生後7ヶ月目に入った。
 
つい最近歯が生え始めたことがわかったばかりなのに、今日では下の前歯が2本しっかりと見える。硬いおもちゃでも、しっかりと歯型のようなものがついている。どれだけ力強く噛んでいるのだろう。
後ろ髪はとっくに肩より下のところまで伸び、前髪の一部分もくくらないと目に入りそうだ。布団で擦れてしまったのか、後頭部に禿げているところがある。赤ちゃん筆を作ってもらおうと思っているのだが、いつ切るべきなのか考えなければならない。ただでさえよく男の子に間違えられる顔で、しかもいよいよ眉毛が繋がってきた。この間なんかは、「眉毛が繋がった可愛いその赤ちゃんはいま何ヶ月?」なんて急に声を掛けられる始末だ。髪を短く切ったらもっと男の子に間違えられるんじゃないだろうか。別に間違えられてもいいのだけれど、せめて女の子らしい感じにしてあげたい。妻は7ヶ月のお祝いにと、可愛らしいヘアバンドを買ってあげていた。
 
オーボールの遊び方を見ても、簡単に掴むことができるはずなに、掴むことはせずに、つんつんと触って転がらせている。思うように転がせることはできないから、ツンと触って転がらせては僕が取りに行き、赤ん坊の手元に置いたらまたすぐにツンとして遠くに転がらせる。ツンとただ触っているだけなのに、布団の橋から端までか、それ以上くらいには転がっていくのである。そのたびに喜んで取りに行く僕は、なんだか飼い犬のようだ。

ご近所さん

昨夜の、赤ん坊が僕の顔を見ると大泣きするといういささかショッキングな出来事は、赤ん坊が寝る直前に改善の兆しを見せ始め、今朝にはすっかり良くなった。ひと安心。
 
今日、会社から徒歩7分くらいの行きつけのカフェに行き昼食をとった。昨年末の家の近所でばったり会ったことがあり、ご近所さんということはお互いに知っていて、今日は途中から僕以外にお客さんがいなかったこともあって、昨年にオープンしたショッピングセンターや、近くのパン屋、うまい飯屋など近所トークをした。話の途中で、具体的にどのあたりに住んでいるのかという話になって、マンションのおおよその場所を言ったところ、「それって○○マンションですよね?僕もそうです」と。同じマンションの、しかも1階下の住人であることが発覚したのだ。そんなことってあるのか。
僕はただ珈琲が美味しい店を調べて行っただけである。会社からも行こうと思えば行ける距離なので、たまにランチで行くようになった。同じマンションの住人にお近づきになりたくて行ったわけではない。
 
僕は今のマンションに住んでもうすぐで8年目になるが、カフェのマスターは4年目だという。4年間も同じマンションに住んでいて、一度も会ったことがない。いや、きっと会ったことはるのだろうが、お互いに認識しなかったのだろう。まぁ、そもそもマンションの近所付き合いなんてないに等しい。半年前に隣に引っ越してきた家族のことは未だにはっきりと認識していないくらいだ。でも、それにしても。
 
同じマンションであることがわかってからは、マンショントークをしたり、音楽の話をしたり。近くの雑貨屋で寺尾紗穂のライブに行ったことがある、とか、僕は同じ場所で坂口恭平のライブに行った
とか。折坂悠太とかいいよね、とか。マスターとは同年代で、おそらく話をあわせてくれたところもあるのだろうが、音楽の趣味も似通っていた。話をしていて楽しいし、カフェ自体、とても居心地がよく、また珈琲はとても美味しい。
 
しかし、同じマンションだからと言って、いや同じマンションだからこそ、距離のとり方が難しい。難しく考える必要はないのだろうが、節度のある距離を保っておきたい。仲良くなりたくないわけではない。むしろ一緒に飲みに行くくらいの感じで仲良くなりたいくらいだ。でも、居心地の良いカフェなのだから、マスターと客という関係性は保ち続けたい。同じマンションとわかって新たな関係性が生まれた(発覚した)わけだが、その関係性よりカフェに居る時の関係性の方を大事にしたい。
 
同じマンションに親族以外の知り合いが住んでいるなんて、大学の時以来である。マンションの住人としての関係性ウンタラカンタラとか書きながら、僕は知り合いが同じマンションに住んでいることをとても嬉しく感じている。

僕の顔を見て大泣きする赤ん坊

いくつか書きたいことはあったのだけれど、さっきからショックを受けていて、全部吹っ飛んでしまった。
何が原因かよくわからないのだが、1時間ほど前から、赤ん坊が僕の顔を見ると大泣きするのである。妻の顔を見ても泣かない。テレビを見ても泣かない。僕の顔を見るときだけ泣く。泣いているのは完全に僕の顔(もしくは僕の行為)が原因だ。妻が風呂に入れて、少し機嫌が戻ったところで顔を見に行くとまた大泣き。もうどうしようもない。いつもだったら笑ってくれる顔だったり音だったり拍手だったりをしても泣き止まない。いつまで続くのだろう...。
 
赤ん坊の大泣きが始まるまで、僕は赤ん坊といつものように遊んでいたのである。1つ心当たりがあるとすれば、赤ん坊がいつのまにかうんちをしていて、妻にお尻を拭くために足を持って上げておいてほしいと頼まれ、30秒ほどそうしていただけである。それが嫌だったのだろうか。僕が足を上げている間、妻がお尻を拭いている間は泣いてなかったように思う。
できれば今日中には泣かないようになってほしい、と思うが難しいだろう。もう寝る時間だ。せめて明日仕事から帰ってきたら機嫌が戻ってくれていれば。でなければ。