Life Itself

生活そのもの

2018/06/08

久しぶりに夜にカレーを食べに行った。しばらくの間、夜にカレーを食べると体調を崩すと言っていて、夜に行くことができなかったのだが、ここ数日カレーを食べたくなったのだという。
ネパールカレーのお店。いつものお店だ。僕も妻も、このカレー屋が日本で一番美味しいと思っている。マトンカレーが有名なお店だ。僕はマトン野菜カレーを頼み、妻はココナッツカレーを頼んだ。


店主は野菜も自分で選んでいると言っていたと記憶しているが、今日はこの野菜がとても美味しかった。特に人参は人生で食べた中でもダントツで美味しかった。
そもそも僕は子どもの頃から人参が嫌いで、今でも人参くささが残っている人参は食べることができない。炒めたり、味付けされたりして、人参くささが薄くなっている人参は食べることができる。
今日、カレーに入っていた人参はまさに人参そのもの、人参の味がしっかりとしている。こういった場合、普段はあまり噛まずに飲み込むか、食べないかのどちらかなのだが、
その人参は一口噛んだだけで今まで味わったことのない人参の甘みが出てきて、噛めば噛むほどその甘味が増していった。人参ってこういう味だったのか!
僕は今日、初めて人参の味を堪能したのだ。生まれて30年以上も過ぎた今日になってようやく。今日の人参であれば、いつだって食べたい。特別な人参なのだろうか。

2018/06/07

『なずな』と『白鯨』を同時に読み進めている。どちらかといえば、『なずな』を読む時間の方が長い。

『なずな』を読むことで心が安定していく。本を読んだ後は心が晴れやかになっていることに気づく。

先日、『はじめての育児』という本を中古で購入したのだが、沐浴の仕方のページや赤ん坊の成長についてのページだけを眺めておけばいいものを、病気のところを読んでしまい余計な心配をしてしまう。母親譲りの極度の心配性な質で、一度心配な気持ちになってしまうとクヨクヨと考えてしまう。まだ産まれてもいないのに考えても仕方がないとわかっていても考える。『はじめての育児』自体はとてもいい本だ。それに、可能性のある病気について予め知識をつけることも悪いことではない。だが、僕の場合、知ることで留めておけばいいものを、自分の方へ引き寄せて考えてしまうのだ。あまり良くない。

 

『なずな』の中で、主人公である男性は1人で生後2ヶ月半の赤ん坊を育てている。今日読んだ箇所では、赤ん坊に熱が出て、慌てて病院に行くというところであった。赤ん坊の高熱は良くないことであるらしい。それで病院に電話をして、すぐに向かったのだが、大したことはなかった。主人公の男性と仲がよい医師は、主人公に対して、赤ん坊のことになると、せっかちになることを指摘する(それでも、高熱が出た時点で病院にい連れて行くこと自体は正しい行為だと言う)。

赤ん坊に熱が出るくだりは読んでいると少しハラハラもするのだが、主人公が慌てて病院に連れて行ってから医師が大したことはないという流れを読むとホッとするのだ。単に主人公に感情移入しているだけなのか、小説の中とはいえ医師の言葉に安心しているのか(医師から大丈夫と言われるときほど安心するものもない)、何に対してホッとしているのかはよくわからない。だが、確実に言えるのは、『なずな』を読むと、赤ん坊と一緒にいることの日常が見えてくるということ。赤ん坊が産まれても日常は日常であり続けるということだ。赤ん坊が産まれた後、日常が非日常になるということはない。日常のあり方は少し変わるかもしれないが、日常は続いていくのだということ。未体験のものを目の前にすると、日常から少し離れてしまいがちになる。『はじめての育児』を読んでいると、なぜか日常の視点で赤ん坊のいる生活を捉えにくい。それで不安になりやすいのかもしれない。

 

物語の力というのは、やはりすごい。堀江敏幸さん、すごい。

2018/06/06

1日の中でも不安と楽しみの感情が交互にやってくる。楽しみは産まれた後のことだが、不安は主には出産のことだ。男の子でも女の子でもどちらでも構わない、ただ母子ともに無事に産まれてきてほしい。分娩室にまで入るつもりはないが、陣痛の時は立ち会う予定なので、陣痛や破水のことについて少し本で読んでいるが、どんなに予備知識を入れてもほぼ確実に慌てるだろう。もちろん僕が、だ。出産時にもし予想外のことが起きるようなことがあれば、なおさら平常心でいられる自信がまったくない。僕が平常心でいなければ、妻を余計不安にさせてしまう。それは避けなければならない。何にしろ、予めある程度のことを想定して、それに対して備えるしかない。あとは祈りだ。特定の信仰を持っているわけではないが、ただ祈る。

 

この1ヶ月は部屋のモノを減らしてきた。早いうちに赤ん坊を迎えるための準備をしていかなければならない。最低限の用意はできている。あとはベビーベッドとベビーバスの手配が必要だ。ベビーベッドはレンタルで借りる予定で、ベビーバスはAmazonで買うようにしている。

あとは生活のサイクルも徐々に変えていかなければならない。今はまだ毎晩夜更かしをしているので、早寝早起きに切り替えていく必要がある。赤ん坊を迎えた後のために、出産時のために。今後はいつ陣痛や破水が起こるかわからない。いつ起こっても問題ないように、僕の体調も万全にしておかないと。

 

2018/06/05

堀江敏幸の『なずな』を読み進めている。とても面白いし、近い将来に体験するであろうことが書いてあって、今まで経験したことのない本の読み方をしている。

まだ序盤だが、今日はベビーカーを買いに行くくだりがあった。抱っこ紐では赤ん坊との密着度が高いため、暑い時期だときつい、それでベビーカーを購入するという経緯だった。僕らの赤ん坊の出産予定日は7月1日なので、まさに産まれたばかりの赤ん坊と真夏を過ごしていくことになる。もっとも一緒に外に出ることができるのは2ヶ月ほど経ってから、と手元にある本に書いてあるので、外に出始めるのは残暑の季節にということになるだろうが、それでも暑いことには変わりない。今のところはベビーカーを買う予定はないが、暑いからベビーカーを、ということもあるということだ。『なずな』には赤ん坊の便についての記述もあって、そういうことになるのか、と心の中で頷きながら読んでいる。出産した後にもう一度最初から読み返しても面白いかもしれない。

 

今日は定期検診の日だったが、赤ん坊はとても順調ということで良かった。頭が大きくなって、2Dのエコーではあるが、ほっぺがふっくらとしていたらしい。

未だに性別ははっきりとしない。妻は今日も先生に尋ねたが、明確に答えてくれなかったそうだ。はっきりしないのであれば仕方がない。産まれてからの楽しみということである。

胎動は今日も激しい。そのまま元気にこの世に産まれてくることを祈るのみだ。

2018/06/04

出産を1ヶ月前を切ってくると、まだ時間があるとは言え、日常にうっすらと緊張感が侵入してきているような感じがある。破水が先なのか、陣痛が先なのか、妻は陣痛を乗り越えることができるか、そして僕は妻の陣痛をサポートすることができるか。赤ん坊は無事に産まれてきてくれるだろうか。そういったことがずっと頭のどこかでマインドとして働いている。そのマインドを僕はどうすることもできない。必要なマインドの働きなのかもしれない。

 

2人でも話している。妻はどこか不安な表情を見せることもあるが、覚悟を決めているようだ。妻はいつもお腹の中の赤ん坊に語りかけている。

僕はすぐ先の将来をなんとかイメージをしようとするが、うまくイメージできずに、もどかしい思いをしている。実際にその時がくると、きっと妻よりも僕のほうが焦ってしまうだろう。いつだってそうだ。だが、今回ばかりはしっかりサポートしなければならない。

 

この2日間は休みで天気も良かったので、2人で街や公園を歩いた。妻もリラックスできたと言っていた。梅雨に入ってしまっているので、これから雨の日が多くなるかもしれない。臨月を過ぎると歩いたほうがいいと聞くが、雨の中を歩くわけにもいかない。滑るのが一番怖い。天気がいい日を狙って、また歩きに行きたい。

 

もうすぐ母の誕生日だ。今日は母の誕生日プレゼントを購入した。母の誕生日と、僕らの子どもの誕生日は近い。亡くなった祖母も、梅雨の時期に外を歩いたりしていたのだろうか。1年くらい前に、若かった頃の祖母が夢に出てきたことを思い出す。若かった頃の祖母の姿は知らないが、僕は彼女が若い頃の祖母であることにすぐに気づいた。あの時の祖母は、母が産まれる前だったのか後だったのか。祖母にはいつだってまた会って話したいと思う。

祖母と祖父はずっと仲が悪かったが、出産の時はどうだったのだろう。夫婦仲はずっと悪かったが、子どもにはとても優しかったと母は言っていた。

新しい生命を迎えようとしているこのタイミングで、母や祖母のことを考えることも多い。

大音量『The Last Waltz』

昨日はKBCシネマで『The Last Waltz』の大音量上映会があった。ライブのように拍手や私語もOKとあったけれど、観ている人の年齢層も比較的高いせいか、ほとんど私語はなくて、ところどころで笑いが起きて、僕含めて体を揺らす人がいるくらいだった。

 

そもそもThe Bandが活躍していた時代にはこの世に生まれてさえいなかった完全に後追いの僕にとって、『The Last Waltz』を映画館で観るのは1つの夢であった。後追いとは言え、幸運なことにWoodstockでLevon Helmのライブを観ることができたし、日本でGarth Hudsonのライブだって観ることができた。それでも、5人のThe Bandとしてのライブは観てみたかったと思うものだ。僕より上の世代の音楽好きな人の中には、たまにThe Bandのライブを観たことがあるという人がいて、とても羨ましく思う。The Bandも2人しか残っていないわけで、叶うことのないことをグダグダと言っても仕方のないことだが。

『The Last Waltz』には、解散ライブとは言っても、円熟期のThe Bandのライブ映像を観ることができる。Richard Manuelのコンディションが良くないことは残念ではあるけれど、ライブ以外の場所で彼が話すシーンはとてもチャーミングだ。

 

映画館の大画面で観て改めて感じたことだけれど、この映画の中のLevon Helmはとにかくカッコ良い!ライブはもちろん、話す姿もカッコ良い。男臭くて、色気があって。Levon Helmの自伝では、この映画のことはあまり良く書かれていなくて、特にトークシーンではずっと機嫌が悪かったらしいが、だからなのか一層男臭さが増している気がする。『Ophelia』では、Levonがドラムをしながら歌う姿をドアップで映されているが、ドラムを叩くときの肩の動きだとか、歌うときの表情だとか、歌に入る前の表情だとか、人間臭さが溢れている。

 

この映画の見どころはたくさんあるけれど、昨日映画館で観て個人的に印象的だったのは、Dr.JohnVan MorrisonBob Dylanだった。なぜかはわかならないけれど、Dr.Johnの『Such a night』は家で観るよりずっとセクシーに感じた。Van Morrisonはまさに大音量向きといった感じだ。Bob Dylanは大画面で観てもとにかくイケメン。ノーベル賞をとってそればかりが話題になるけれど、一度この時期のBob Dylanをの姿を若い女性にも観てほしい。イケメンと言われているアイドルや俳優よりもずっとカッコ良いから。

 

昨日の『The Last Waltz』は先行上映で、6月30日からまた1週間ほど上映されるらしい。その時期はちょうど妻の出産時期にあたるので、観に行くことができるかわからないが、可能であればまた観に行きたいと思う。

若い人で、もし今回の上映で初めて『The Last Waltz』を観る人がいるとすれば、それはとても羨ましいことだ。今後映画館で観る機会もそうないはずだから、観たことがない人はぜひ観てほしいと思う。

2018/06/02

今日は帰宅が遅くなってしまった。このことについては明日書こうと思う。

 

妻がとうとう臨月に入った。正産期まではあと1週間あるけれど、ここまでじっとお腹の中にいてくれたことに、まずは赤ん坊に感謝したい。昨年の年末は本当に大変で、つわりもひどかったし出血もあったし、妊娠とはそういうものかもしれないが、とにかく、1日でも多く1日でも多くお腹の中にいてくれるようにと毎日祈っていた。残りの2人の時間を惜しむようになったのは多分年明けからで、それまでは早く正産期にならないものかと、時が早く過ぎないかと思っていたように記憶している。臨月に入ったことは心から喜ばしいことだ。

あと1週間、なんとかそのまま我慢してほしい。あと1週間我慢してくれれば、いつでも産まれてきてもらっていい。あと、たった1週間だ。