Life Itself

生活そのもの

2019/10/16

確実に金木犀の香りがした。

夕方にもなると一気に冷え込むようになり、帰宅時間には寒い感じになってきているので、とうとうサンダルでは出かけられなくなってきた。僕は暑がりの上に寒がりで、おまけに末端冷え症なので、寒いと足からくるため、寒くなるとサンダルを履きたくても履けなくなる。サンダルの開放感がなくなるのは嫌だなぁ。スニーカーは嫌いではないけれど、どうしても蒸れてしまう。臭くなる。やっぱりサンダルがいい。

仕事が終わって最寄り駅についた後、コンビニに寄るためいつもとは違う出口から出た。その出口から出るためにはいくつもの階段を上らないといけないのだが、そのうちのある一箇所の階段だけ、段差が均一ではなくていつも感覚が狂ってしまう。 しかし、その感覚が狂ったときだけ、僕は階段を上っているということを意識する。山に登るための階段などは段差が均一でないのはよくあることかもしれないが、駅で段差が均一ではいのは珍しいのではないか。福岡ではあまり経験しないように思う。地下鉄に乗るだけの都会の生活に慣れてしまうと、階段に上るということすら、自動化してしまう。階段に上っているその行為自体よりは、階段を上ることで生じるきつさにすぐに結びついてしまう。行為がすなわち判断となっているということだ。ところが、その不均一の段差の階段を上るときは、不均一さが生むだす違和感によって、階段に上るというその行為のみに集中させられる。行為は判断と結びつかない。認識までで止まる。それはとても面白いことだ。

書いていて、荒川修作の家を思い出した。