Life Itself

生活そのもの

アンという名の少女

昨日赤ん坊が寝た後に、久しぶりに映画かドラマを観る気分になって、NETFLIXで何がいいか検索していたところ、 『アンという名の少女』というドラマを見つけた。初回だけかわからないが、1時間20分という長さで、その長さに少し気が重くなりつつも観始めたのだけれど、すぐに引き込まれて最後まで観てしまった。『赤毛のアン』が原作のドラマらしいのだが、そもそも僕は『赤毛のアン』を読んだこともなければ、物語の筋さえ全然知らない。なんなら、最初は『赤ずきんちゃん』が原作かと勘違いしたほどだった。
 
実際のロケ地はどこかはわからないが、カナダの片田舎が舞台であるこのドラマでは、壮大で素晴らしい景色がこれでもかというほど出てくる。映像も綺麗で、その景色だけでもドラマを観る価値がある。だが、もっとも惹かれたのは、主人公である少女が発する言葉とその存在感で、想像力を大事にする少女は現実と想像の話を行き来しながらずっと話をしていてとてもお喋りなのだが、その言葉がいちいち心に残ってくるのである。少女のその言葉と存在感は、当初男の子を養子として引き取る予定のところが、手違いでその少女が来てしまったために返すつもりであった高齢の兄妹の心を動かして、引き取らせることとなる。人の心を動かすのは、なるほど、そういった言葉であり、表情であり、訴えなのかと感心させられて、観ているこちらも少女にどんどん魅了されていく。それだけ主人公を演ずる女の子の演技が素晴らしいということでもある。高齢の兄妹についても魅力的で、特に兄の方は口数は多くないのだけれど、その表情とポツリポツリと発する言葉に、少女と同じように「気が合うわ」と言いたくなる。
 
赤ん坊がいると、バック音楽がアップテンポだったりうるさかったりすると起こしてしまう可能性があるので、観るのが難しくなってしまうのだけれど、その点についてもこのドラマは終始落ち着いた感じで観やすい。これから先がとても楽しみである。
 
しかし、『純と愛』からほとんど朝ドラは観ているのだが、『赤毛のアン』の翻訳者・村岡花子をモデルにした朝ドラ『花子とアン』についてはなぜか全く観ていなかった。美輪明宏はコンサートに数回行ったことがあるほど好きだし、吉高由里子も嫌いではないのだが、なぜか観なかった。もしこの朝ドラを観ていたら、もっと早く『赤毛のアン』についても興味を持っていただろうに。きっと、今がそのタイミングだったのだろう。『赤毛のアン』は読んだことがないので、これを機会に読んでみたいと思う。