Life Itself

生活そのもの

2018/06/21

『なずな』の次の本は、同じ堀江敏幸さんでこれまた積読になっていた『河岸忘日抄』を読むことにした。
まだ50ページくらいしか読んでいないが、面白く読んでいる。
 
数ヶ月前にタルコフスキーノスタルジア』の中古Blue-rayを購入し、つい2週間ほど前に3回目を見ていたのだが、物語の序盤にこの『ノスタルジア』の場面と、映画について語るタルコフスキーの言葉が出てきた。枯れた温泉の中の端から端まで、蝋燭の火が消えないように歩く場面。1回目は見ている途中に寝てしまって、起きて目に入ったのがこの場面だった。途中の物語を追っていなかったから意味は分からなかったけれど、その切迫した様子はとても印象に残っていた。数回見ただけでは理解が難しい難解な映画だけれど、何度も見たくなってしまう。映像が美しいし、印象的なシーンがいくつもあるからだと思う。小栗康平の『FOUJITA』もそうだ。『レヴェナント』も。
 
つい最近見たばかりの映画のことが小説に出てきたからか、言葉がすっと入ってくる。『なずな』の世界をまだ引きずってはいるが、徐々に新しい物語に入っていっている。とても心地が良い。
 
多くの人の例に漏れず、僕も最近はテレビでサッカー観戦尽くしの日々だ。帰宅したら書斎に入って音楽を聴きながら日記を書いて、その他の時間のほとんどはサッカーを見ている。
今回は優勝候補と言われているチームのほとんどが苦戦しているのが面白い。メキシコ対ドイツ、ポルトガル対モロッコ。すべてを見ているわけではないが、この2試合はとても面白かった。もちろん、日本戦は興奮した。日本戦が終わった後は、久しぶりに酒を結構飲んでしまった。
 
赤ん坊はW杯開催年の、しかも開催期間中に産まれる可能性が高い。W杯の度に、産まれるかどうかのこの時期のことを思い返すことだろう。4年に1度。次は4年後。無事に産まれ、育ってくれれば4歳だ。どんな子どもに育っているだろう。