Life Itself

生活そのもの

2018/10/30

昨日の日記で「じゃあかしい!」と書いていたのだが、その言葉が読んだ妻には印象に残ったらしい。僕は、先日まで読んでいた町田康の文体をマネした気分で書いたのだけれど、妻からするとゴリけんのマネかと思ったらしい。常々、仕草や行動がゴリけんに似ていると言われていてそのたびにショックを受けているのだが、またか!と思った。ゴリパラ見聞録を見ていて、確かに似ている部分がないとは言い切れないのだが、似ていると言われるのはさすがにショックである。
ゴリパラ見聞録と言えば、先々週の熊本県フォレストアドベンチャーに行く「まさかのパティーン」の回は傑作だった。この1年で一番笑ったかもしれない。妻は涙が出るほど笑っていた。
 
フォレストアドベンチャーは、テレビの画面を通して見る限りでもえげつないほどのアスレチックで、特に地面からの高さは他のアスレチックでは見たことがないほどだった。アスレチックだけに足場も不安定なことこの上ない。
高所恐怖症であるディレクターの富さんは、出演者を撮影するためにアスレチックに挑戦しなければならなかったはずが、あまりの高さにそれを断念していて、それをゴリけんはずっとからかっていた。ところが、いざゴリけんがアスレチックに挑戦するとなると、こやつはビビりまくっていて、始まりからテレビ向けの表情をする余裕もなく、ただただ文句をたれながら進んでいたのである。パラシュート部隊の2人は、怖いとは言いつつも先に進んでいて、ゴリけんだけが全く余裕がない。途中、ゴリけんは蒼白した表情でうめき声を上げながら綱渡りをしていたのだが、それまで散々ディレクターをバカにしていたこと、そしてそのうめき声を上げている様子があまりにも身に迫っていて余裕がないように見え、なんとも言えず面白いのである。命綱をしているし、大変な怪我がなかったことを前提として見ることができることから安心して笑えたというのもあるとは思うが、人が切迫した姿を見るのがあれほど面白いとは。これはディレクターの富さんの編集力と、ゴリパラ見聞録を通してゴリけんの人柄をずっと見ているからだと思う。ゴリけんだからこそ、あのうめき声は面白い。
 
ところで、僕はおそらく富さんにとても及ばないほどの高所恐怖症である。脚立の上にすら登ることができない。足場が不安定な場所がこの世で一番嫌いだ。そんな僕だから、フォレストアドベンチャーに行くなんてことは考えることができず、本当はゴリけんのうめく姿を笑うことはできないのである。その場にすら行くことができないのだから。
 
ヨガの先生は僕が高所恐怖症であることをずっと覚えていて、克服できるようにいつか高い場所に連れて行ってあげると言われたことがある。先生が言うのであれば挑戦するしかないか、という気持ちがああるが、きっと僕は克服できないような気がする。
 
僕の最も古い記憶の一つは、一番先にジャングルジムの頂上にたどり着いたら勝ちのようなことを先生に言われ、僕含めて十人程度の園児が横並びで一斉にスタートするのだが、僕だけスタートできなかったというものである。その時から、高い場所を怖いと思っていたのだ。高いところから落ちて怪我したから怖いとかならまだしも、そういう経験がない状態から高いところを怖い思っている、言ってみれば生粋の高所恐怖症なのだ。
 
高所恐怖症の人はいつから高所恐怖症なのか。先天的なものなのか後天的なものなのか。それは遺伝するものなのか。娘は高所恐怖症でなければいいのだけれど。