Life Itself

生活そのもの

2018/10/07

朝はなんともなかったのに、仕事後に歩いていると左脚の膝が痛かった。仕事中の8時間の間、ほとんど歩いておらず、座りっぱなしの状態であったにも関わらず、身体に変化があったということは、座り方に原因がある可能性が高いということだ。思い返してみれば、左足を右脚の膝の上に置いた状態で長い時間座っていた気がする。それで痛めてしまったのだろう。
 
仕事中の座り方なんて無意識そのものだ。座り方を変える時はたぶん居心地わるいなーとか思いながら変えているのだろうが、変えた10秒後にはなんとも思っていない。座り方を変えたことすら忘れ、その座り方に落ち着いていている。落ち着いているのは、身体の癖がそうさせてしまっているだけで、とても負担がかかる座り方だ、立つ頃には身体は悲鳴を上げている。当の本人はそれに気づいていない。
まだ貧乏ゆすりでもしている方がいい。少しずつ揺れているのだから、身体は固まらない。僕の座り方は、身体が悲鳴をあげるギリギリまで同じ状態をキープするから、どんどん身体が固まっていく。自分の身体に気づきながら仕事をするのはとても難しい。特に忙しいときは、PCの画面以外何も目に入ってこない。呼吸もPCの画面に吸い込まれていっているようで、とても短く、浅い。PCを見ているのではない、目がPCに固定されているのである。見ているという意識はない。
 
赤ん坊の目を見ていると、僕と目があっているのだが、何を見ているのか黒目がキョロキョロと動いている。顔の中にも視線が動くポイントがあるのだろうか。眉毛、目、目の中にも白目と黒目、鼻、耳、口、顎、髭。
黒目の中には僕の首より上が映っている。赤ん坊の中では、僕を僕と認識して終わりではない。認識してからが本当に面白いところなのだ。顔のいろんなところを見ていく。毎日毎日顔は変わっていく。楽しそうな顔、疲れている顔。眉毛、髭は伸びる。たまに鼻毛だって出ている。
赤ん坊は僕の顔をしっかりと見る。僕が鏡で自分の顔を見るよりもずっと真剣に。見ることに集中している。