Life Itself

生活そのもの

2018/08/19

毎日長い時間赤ん坊の体を見ているからか、自分や妻の体を見るととても大きく感じる。特に赤ん坊の手の横に自分の手を並べて見ると、自分の手なのにその圧倒的な大きさに気持ち悪さを感じてしまう。しかし、僕の手の大きさまでいかないまでも、赤ん坊の手もこれからそれに近い大きさまで成長することになるのだ。そう考えると、とても不思議である。今の小さい手はどんどん大きくなって、赤ん坊自身も、僕も妻もその大きさを何の違和感もなく受け入れていく。今は変化を感じやすいが、次第に大きくなることの変化にも気づきにくくなるのかもしれない。今の手の感じや足の感じ、そして顔の表情、声の感じなどずっと覚えることができればと思うけれど、そんなことは不可能だ。今できることは、赤ん坊の今の状態をしっかりと見ること。
 
赤ん坊を通して、自分を見る。赤ん坊の目はとても澄んでいて、覗き込むと覗き込んでいる自分の顔が見える。今まではあまり顔を見ることはなかったが、最近は顔を認識するようになったのか、視線が妻や僕の顔を追いかけるようになっている。赤ん坊の目を見て、その黒目の中に僕の顔全体が入っていると、とても嬉しくなる。この子は僕を見てくれている。鏡を見るよりも、赤ん坊の目の中で自分の顔を見ることのほうがずっと多い。