Life Itself

生活そのもの

2018/06/25

昨日波紋のことを書いて、今日購入した高橋幸宏の『薔薇色の明日』の1曲目が『Ripple』(=波紋)。単なる偶然でしかないけれど、先日の日記でも書いた堀江敏幸『河岸忘日抄』でのタルコフスキーといい、接したこと・考えたことを後から別のモノの中で接することになるのは面白い体験だ。その体験に対して何も意味づけするつもりはないけれど、異なる2つのモノの中で同じことに接すると、必然的にそのことへの考えは深くなるし、忘れがたくなってくる。
 
散歩がてら、妻と2人で行きつけのカフェに行ってきた。この日記でも何度か登場したカフェだが、そのマスターも11月に娘さんが産まれてきたばかりで、今日も写真を見せてくれた。ついこの間産まれて3ヶ月と聞いたばかりだったと記憶しているが、もう7ヶ月目である。どの写真もとびっきりの笑顔で、可愛くてしかたがないだろうなぁという感じがした。僕らに写真を見せるマスターの顔もにやけてくる。
 
産まれてからどのように時間が経過していくかはわからないけれど、赤ん坊に関わることすべてが初体験であるのだから、濃密な時間になるのは間違いないだろう。今日、1ヶ月ごとの成長具合を写真で見せてもらったが、赤ん坊が大きくなるのは本当に早いようだ。
産まれた後は目の前のことでいっぱいにはなるだろうが、その姿・成長を自らの目でしっかりと見る余裕は持てるようにしていきたい。
 
写真を見せてもらったからか、妻も僕も赤ん坊を迎えることへ、不安よりもポジティブな気持ちが強くなった1日であった。