Life Itself

生活そのもの

2018/06/24

ここ数日、妻が痛いと叫ぶ時があって、その度にドキッとする。赤ん坊がお腹の中で蹴るために痛みがでたり、恥骨が痛むそうで、今のところ陣痛ではなさそうなのだが、いつ陣痛が始まるともわからない。
 
今夜、近くの公園を散歩していて、妻が疲れたというので途中ベンチに座った。少し遠いところから弦楽器の音がしていた。公園内ではよくギターやらヴァイオリンやら、時にはフルートなどの練習をしている人がいる。今日のはおそらくヴァイオリンだっただろうか。ベンチで夜の湖の水面を眺めながら、弦楽器の音を聞く。なんともゆったりとした時間だ。水面に波紋が広がっていくが、何から生じたのかわからず、ヴァイオリンの音が作ったものではないかと思い込みたくなる。
調律された音と、水面の波紋。しかし、波紋というのは、人工的に作られたものかと思わずにいられないほど形が整っている。その広がり方も音を感じさせる。ヴァイオリンの音を聞いているから音を感じさせるのか。いや、波紋そのものに音を感じさせるようなものがある。波紋。揺れ。波紋の中に入り込めば、とても微細な音が鳴っているのかもしれない。
一方で波紋は静寂をも感じさせる。その広がりを見ていると、時間の流れがとてもゆっくりとしたものになっていく。完全に無ではなく、音と音が鳴る間の静寂。空白の音だ。
 
そんなことを考えながら、頭の中は1時間後の日本戦に向かっている。