Life Itself

生活そのもの

生後10ヶ月目

昨日、僕以外の男性に赤ん坊が初めて興味を持ったところを目撃した。それも白人のイケメン。顔ちっちゃい、身長でかい。あるイベントでその男性と接する機会があったのだが、最初に接したときから赤ん坊の反応が異常によく、その後赤ん坊は彼に少しでも近づこうと僕の腕から離れようとしていた。僕はそれを少しだけ阻止した。
昨日その男性と一緒に写真を撮ったのだが、その写真を見せると赤ん坊はキスをする。その他の男性にはキスをしない。僕の写真を見せると、それにはキスをしてくれる。白人の男性の1.5倍はあるだろうその顔写真に。良かった。いや、本当に良かったのか。本当は赤ん坊は小さい顔が好きなのではないか。そして、果たして、赤ん坊は初恋をしたのではなかろうか。あんな反応を見たことはない。だとすれば早すぎる。早熟が過ぎる。将来心配だ。
 
今日は生後10ヶ月目の日だった。毎月、レコードと一緒に写真を撮るようにしていて、今月は折坂悠太の『平成』と一緒に写真を撮った。2ヶ月ほど前までは赤ん坊を寝かせた状態で写真を撮って、赤ん坊とレコードの大きさを比較することができたが、今回は赤ん坊を寝かせることはもうできなくて、座らせた状態で、しかも赤ん坊がレコードを掴もうとするのを阻止しながらなんとか写真を撮った。数ヶ月前と比べるとどれほどレコードが小さく見えることか。
 
来月からは保育園に入れることになっている。保育園が見つかっただけでもありがたいと思わなければならないのだろうが、保育園に入れることをあまり考えたくない。妻が復職する関係上、仕方がないことだし、しばらくすれば赤ん坊も慣れるのかもしれないが、心配しかない。ついに来月。赤ん坊にとっても僕ら親にとっても大きな変化である。大げさに考えすぎだろうか。保育園に入れば、好きな男の子でもできるのかもしれない。キスをするのではなかろうか。やはり心配だ。

2019/05/04

令和になってから毎日何もないと昨日書いたばかりだが、それは僕が何も知らなかったからだった。というよりは知らされていなかった。父が平成最後の日である4月30日から入院し、今朝退院したことを今日母から聞いた。
 
結婚式で実家に帰ったのが4月27日。その翌日、4月28日に父と母と3人でランチを食べに行ったのだが、父がその時ロボコップみたいな歩き方をしていた。聞くと寝違いをしたのだという。その数日前から徐々に痛くなっていて、28日の朝起きたときに本格的に痛くなったのだそうだ。父はいつも大げさなので、首を固定させた状態でロボコップみたいに歩く姿を見て、寝違いでそんな歩き方になるかなんて言って母と笑い合っていたのだが、大げさではなく本当に痛かったのだ。30日の朝、救急車を呼び、急遽入院。MRIなど精密検査をしたところ、首の痛風と診断された。僕は経験がないが、経験した友人の話では、痛風は尋常ではなく痛いらしい。平成から令和に変わるとき、父は病院で過ごしていたということだ。
 
今日母からそのことを聞いたのも、坂本龍一が「題名のない音楽会」に出ていたことを伝えるために電話したときのことで、母から電話があって聞いたのではない。僕から電話をしなければ、いつ知ることになったことだろう。今回のような大事なことでも母は事後報告として伝えてくることが多い。母は大の心配性だが、僕もその性質を受け継いでいて、僕を心配させないためにと考えてのことかもしれない。今朝退院したとのことだから、電話する暇がなかっただけなのかもしれない。こんなことがあるから、母に電話するときにはいつも電話先の声色を気にしながら話す。今日も最初はいつも通りの感じだったのだが、急に声色が変わって「実は...」という感じで話が始まった。命にかかわることがないからまだ良かったが、救急車を呼んで入院してとなると、それは一大事件である。
 
首の痛風は時間をかけて治療していくことになるそうだ。医者からどう言われたのかまでは聞いていないが、食生活も変えていかなければならないだろう。偏食家で毎晩酒を飲む父のことだから、食生活を変えるというのは大変なことだと思う。ただでさえ猫に定期的にインスリンを打たなければならず気にかけることがあるのに、さらに父の食生活を考えるとなると、母もストレスを抱えることになる。父のことだけでなく母のことも心配だ。

2019/05/03

今日は久しぶりの仕事。外はどんたくで賑やかだったが、そんなことは関係なくただPCの前で黙々とキーボードを叩いていた。
午後からはラジオでホークス戦を聴きながら仕事をした。点を入れられた後は入れ返す試合でとても面白かったが、途中仕事が忙しくなり、ほとんど聴いていなかった。ちょうど仕事が終わる頃にデスパイネがサヨナラ打。なんとも気持ちのいい仕事の終わり方だった。
 
やはり外に出て1日でも仕事をすると違う。連休が続くと体が怠ける。心も怠ける。オフィスで仕事をするのは疲れるが、メリハリが出て心身ともに状態が上向く。出勤時の電車の中、仕事の休憩時間に本を読むにも集中力が増す。在宅勤務はありがたいが、オフィスに仕事仲間がいて、周りが仕事をしている中で仕事をするというのが一番捗る。
 
明日は赤ん坊が主役のイベントに出かける予定だ。ダンスやショーなどの催しがあるが、赤ん坊は最近人が踊るのを見ることや、自分で体を揺らして踊るのが好きだから、たぶん楽しんでくれることだろうと思う。ただ一つ心配なのは、どんたくと被ることだが、仕方がない。
 
最近書くことがなくて困っている。赤ん坊は日々成長を見せている。毎日何もしていないわけではない。だが、特段書くことがない。今日は仕事をしたから書くことがあるようなもので、これまでの連休と同じような過ごし方をしていたのではきっと書くことはなかっただろう。何かを書くために無理やり何かをするというのは違うが、何かをしなければ日記はきっと空白になるだろう。PCの前に座れば数分もせずに何か思い浮かんでいたが、ここ数日はそうではない。絞り出しても何も出てこない。何も書くことがない。映画を観すぎて五感が働かなくなってきたのだろうか。土用だからか。今日ランチを一緒にした職場の同僚は、土用のせいか体調が良くないと言っていた。体調が悪い自覚はない。体はだるいが、体調が悪いわけではない。頭がぼーっとしている感じはする。これまでずっと酒を飲んでいなかったことを考えるとGWに入ってから酒を飲みすぎな気がするが、今日も飲みたいと思っている。たぶん飲む。酒が原因なのか。そんなはずはない。ただ単に書くことがないだけなのだ。ずっと家にいるだけ、書くことがあることの方が不思議だ。GWの間は、引き続きくそほど面白くない日記を書くだろう。誰に弁明しているわけではない。ただ文字にして気持ちをすっきりさせているだけだ。日記もそれでいいではないか。ただ書いてすっきりする。

初めて舌で音を鳴らした日

赤ん坊が僕や妻の真似をするようになってきた。真似をするようになったのは1,2週間前くらいだったが、最近その真似の精度が上がってきたというのか、確実に真似をされているなと分かるようになってきた。
バンザイやバイバイといった動きもそうだが、唇を震わせて出す「ブブブブ」といった音や、「パパパパパ」といった音も真似するようになっている。これを書いている間にも、妻が部屋にやってきて、また新たな音を出すようになったという。見に行くと、とても嬉しそうに満面の笑みで「タッタッタ」と舌打ちの音を鳴らしていた。
 
僕は初めて舌打ちをした日のことまでは覚えていないが、口笛を吹いた日のことは覚えている。それは、僕が口笛を吹けるようになったのがだいぶ遅かったからだ。中学2年のとき、口笛を吹くことができないことが急に悔しくなって、授業中にも口を隠してずっと口を尖らせて練習した。1週間くらいで吹けるようになったと思う。吹けるようになったときはとても嬉しくて、あまりに嬉しかったから夜中ずっと口笛を吹いていると、「不快やけん止めろ。下手くそが。」と寮の同じ部屋のやつに言われて、それがショックでそれ以降あまり吹かなくなった。だから、僕は口笛を吹くことはできるが、下手くそなままだ。口笛を吹けたことの嬉しさとそのショックが一緒になって、そのときのことは今でもよく覚えている。
 
赤ん坊は手を叩いて拍手のようなことをしようとしているが、まだはっきりと音は鳴っていない。綺麗な音が鳴るのも時間の問題だろうが、そこに至るまでの過程をそばで見ることができることは幸せなことだ。できれば今日のように、きちんと鳴らした瞬間の笑顔をまた見たい。

元号が変わったからと言って、書くことがあるとは限らない

令和に変わったからと言って特別なことをするでもなく、朝から妻と映画を観て、その後赤ん坊を連れて天神に行った。天神は思ったよりも人が少なかったが、どんたくが始まるとまた人で賑わうのだろう。どんたく期間中にどうしても天神に行かないといけない用事があるが、できれば祭の期間中はじっとしておきたい。
結婚式で地元に帰ってからほぼ毎日酒を飲んでいるから、薬を飲まない日が続いている。今のところ特別に大きな不調は感じていないが、疲れがずっと溜まっている感じがある。慣れない余興をやったから変な疲れが残っているのかもしれないし、酒の影響もあるだろう。本来は、自分の飲みたいときに酒を飲むことができるというのが健全なあり方だろう。酒を飲むといってもそんなに飲むわけではない。数年かかっていいから、自由に酒を飲むことができるような体にしたい。薬を飲まないでもいいような体にしたい。令和の目標の1つだ。
 
実家の猫は、糖尿病とてんかんを発症してから毎日薬を飲まなければならない体になっているが、13歳を過ぎた今でも元気にしている。2年ほど前、糖尿病が一番ひどいときには、母はもう長くは生きられないだろうと言っていたが、治療と投薬が上手くいって今はピンピンしている。結婚式で実家に帰省して久しぶりに猫とじっくり接した。目には力があったし、よく鳴いていた。2階と1階を頻繁に行き来していた。くりっとした目は、赤ん坊とよく似ている。
 
GWは特に何もすることがないから、必然的に書くことがなくなる。滝口悠生の小説を読んでから、小説はほとんど読んでいない。小説以外の本ばかりを読んでいる。妻とマーベル映画を見返していて、映画に時間を取られるから、小説を読む時間と気力がない。GWは正月のような過ごし方をしている。たぶん多くの人も、僕と同じように時間を持て余しているのかもしれない。今日天神に行って、人々の顔を見るとそんな感じがした。

平成31年4月30日

平成31年4月30日。
 
赤ん坊の好き嫌いへの表現の仕方に変化が顕れてきた。母乳・ミルクだけではなくなり、離乳食で様々な口にするようになってきたこと、そこで好きか嫌いかをはっきりと表現するようになったことが大きいのかもしれないが、離乳食以外でも好きなものに対しては今までとは異なった表現の仕方をするようになっている。
音楽を聴かせると、好きな曲であれば手をバタバタするだけでなく、体全体を使ってリズムをとってダンスする。今のところのお気に入りはDA PUMPだ。先月まではまんぷくの主題歌『あなたとトゥラッタッタ』もお気に入りだったが、今日久しぶりに聴かせてみると先月までのような反応は見せなかった。しばらく聴いていなかったからか、飽きてしまったのか。先月まではあれほどキャッキャッと喜んでいたので久しぶりに聴いても喜んでくれると思ったのだけれど、そうではなかった。少し寂しい気持ちになったが、好きなものは変わる。誰でもそうだ。
昨日驚いたのが、赤ん坊が産まれて一番最初に購入した『いないいないばあ』を読み聞かせていたところ、くまや狐の絵にキスをし始めた。文字が書いているページはキスをすることはなく、またくまや狐など産まれたころにも反応が良かった絵にだけキスをしていた。キスをしたあとはその絵本を奪い取るようにして、絵本の角をずっと舐めていた。赤ん坊は紙が大好物で、紙を手にとると必ずくしゃくしゃにするか舐めるかするから、紙に対する反応の1つとしてのキスだったのかもしれないが、絵本の絵にキスする赤ん坊の姿はとてもかわいかった。萌え萌えだった。
 
平成最後の日。最後の日だから特別なことをするわけでもない。折坂悠太の『平成』を聴いて、酒を飲むだけだ。ただ、昭和も終わり近くに生まれ、物心ついたころには平成、今までの30年5ヶ月すべての平成の月日を無事に過ごすことができたことに感謝したい。天皇が皇后の手を取られる姿は、とても美しかった。

結婚式で再会

平成31年4月29日。
 
引き続き結婚式のことについて。
結婚式では予期せぬ再会があった。僕は小学校までしか地元にいなかったから、地元の友人=ほぼ小学校の同級生ということになる。それ以外と言えば、塾など習い事で知り合った数少ない友人だけで、その友人とは地元を離れて会うことはなかった。今回の結婚式で、塾で一緒だった友人と会った。その友人は、新郎と高校の同級生ということだった。
小学校以来だからもう20年以上経過しているが、互いにひと目見ただけでわかった。話題といえば、当時の塾のことが中心となるわけだが、それだけでも結構話が広がる。そいつは今福岡に住んでいるということで、また塾の他の友人の多くも福岡に住んでいるらしく、今度福岡で会う約束をした。
 
小学校の友人と話す自分というのは、中学以降の友人と話す感じとは全く違う。中学以降少しずつ纏ってきた不自然さ、社会性によるものもあればエゴによるものもあるだろう、それが小学校の友人と話すときだけはほとんどなくなって、一番自然体に近い感じになるからだと思う。その不自然さというのは大人の世界で行きていく中では不可欠なものなのかもしれないが、それから解放されると自分はこんな感じなのかというのは、僕自身の中でも忘れていることで新たな気づきである。実家に帰って親と話すだけではわからない、同年代の友人と話すことでしかわからない最も自然体に近い自分。最も自然体に近い自分で酒に酔うというのも不思議な気分である。
 
自然体に近かったから余興も上手くできたのかもしれない。