Life Itself

生活そのもの

歯が生えてきた。

昨日から赤ん坊がわけもなくグズるようになり、どうやら歯が生え始めているようだと妻は言っていたのだけれど、歯茎を見ても僕には全くわからなかった。ところが、今日、改めて下の真ん中あたりの歯茎を見ると、白っぽい少しギザギザとしたものが出てきていていることに気づいた。これは明らかに歯である。2019/01/26、生後205日目、歯が生え始めてきた(ことに僕らが気づいた)日として覚えておこう。
 
歯が影響しているのか、夕方以降の寝付きが悪い。一度寝ても、すぐに起きてしまう。20時頃、お腹が空いてそうな感じもあったので、お腹が満たされれば寝るかと思ってミルクをあげると逆に目が覚めてしまったらしい。遊びたそうにしているので、メリージムを持っていくと嬉しそうに手を伸ばす。まだ短い手を精一杯伸ばそうとする赤ん坊はとても可愛らしい。
 
メリージムで遊んでいる赤ん坊を観察していると、メリージムにぶら下がっているぬいぐるみや星型のプラスチックのものへの触り方のバリエーションが増えている。ぬいぐるみをそーっと触ってその感触を楽しんだり、かと思えば思いっきりパンチしたり、ぐっと力強く掴んだり、ぬいぐるみがぶら下がった紐を引っ張ったり、プラスチックを重ね合わせて音を出して遊んだり。見ていて飽きない。生まれてすぐに与えられて、所有しているおもちゃ中でもだんとつに付き合いの長いメリージムだからこそ、赤ん坊なりに遊び方を日々編み出してきたのだろう。

2019/01/25

今年入ってから精神状態がしばらく安定せず、どうなるかと思っていたのだけれど、ヨガのワークショップ前後あたりから落ち着いてきたというよりは活力がどこからか湧いてきて、今は何でもしたい気持ちになっている。
 
今年に入って何度か書いているように、今年はプルースト堀江敏幸須賀敦子は必ず読み続けるすることにしていて、いまのところそれは続いている、というか楽しくて読んでいるので続けようという意志なくとも続くに決まっている。それに加えて、どんどん読みたい本が出てきて、読みたいと思ったら忘れないうちに買うことにしているから、積読は増えていく。しかし今は活力があるから、積読にはならない本もあって、同時平行で数冊読んでいる。ブックスキューブリックの大井実さんの本、高島宗一郎市長の話題本、管啓次郎
昨年、西村佳哲さんの本がすごく面白かったから、それからそういった類の本も読むようになった。大井実さんと高島宗一郎市長の本は、西村佳哲さんを読んだから興味を持って読んでいるようなものである(もっともブックスキューブリックは行きつけの本屋でもあるから、そのうち読んでいたと思うけれど)。大井実さんの本はとてもおもしろい。イタリアに行ったことがあるらしく、本の中でもやはり須賀敦子の言及がある。そのあたりも須賀敦子べったりの今の僕にとってタイミングがいい本だった。大井実さんの本を読んでいると、もしかしたら実家の家業にも取り入れることができるのではないかと思われるようなヒントがたくさんある。
 
日記ではない書きたいことも頭の中には既にある。が、それをどう書いていくべきかが定まらず、まだ筆を執るは至っていない。今年中には、半年以内には少なくとも書き始めることができればと思っているが、それは明日になるかもしれないし、半年後にも1行も書いていないかもしれない。

うつ伏せで寝る赤ん坊のこと

昨夜トイレに行きたくなり起きてふと赤ん坊の方を見てみると、横に寝ている妻の布団が、赤ん坊の口から鼻のあたりにまで掛かっていた。驚いてすぐに赤ん坊からその布団を剥がし、呼吸をしているか確認をした。幸い、赤ん坊は何事もなくすやすやと寝ていて、問題はなかったが、あまりにも焦ってしまったからかトイレに行くのも忘れて、それからしばらく横になって心を落ち着けるためにスマホでネットサーフィンをした。そのままいつの間にか寝落ちて、しかしトイレに行かなかったから尿意でまた起きると、今度は赤ん坊がうつ伏せになって寝ているではないか。起きて動いている様子はない。血の気が引いてまた飛び起き、赤ん坊を仰向けの状態にして生存確認をすると、赤ん坊は何かと言わんばかりにもぞもぞとして起きた。1回目のときには妻は起きなかったが、2回目には飛び起きるようにして赤ん坊の方へ向かったから、妻も起きた。妻にそれまでの2回の事件を話すと、心配そうにはしていたが、うつ伏せで寝ていることは最近はたまにあると言っていた。しかし、うつ伏せで寝ているのを見るのは心臓に悪い。心の底から恐怖を感じた。
赤ん坊には呼吸が検知されなければ警告音が鳴るような小さな機械をおむつに挟んで取り付けて寝かせてはいるが、妻も僕も熟睡していれば警告音に気づかないかもしれないし、そもそもうつ伏せの場合に正常に警告音が作動するのかわからない。完全にはあてにはできない。
 
自由自在に左右に寝返りができるようになったのは、赤ん坊にとっては素晴らしい成長の一歩だが、寝ている間に寝ぼけて寝返りをして、そのままうつ伏せで寝るというのは本当に注意しなければならない。
 
昨夜は2回立て続けにそういったことがあったから、恐怖心からか、そのあと寝てもすぐに起きるということを10回くらいくり返し、そのたびに顔を上げては赤ん坊の状態を確認したのであった。

銀器

2019/01/23 赤ん坊は初めておすわりをした。
 
 
昨年の年末に読んでからずっと心に残っている須賀敦子の文章があるのだが、これからも大切な文章になるように感じているので、ここに載せておくことにする。 
 
 どっしりと重い銀製の、少し先がまがってしまったフォークや、肉を切るときにいつも力が入るあたりが摩滅したナイフを、大事に使っていたミラノの友人がいた。夕食に来てちょうだい、と招かれて、がらんとした都心の大きな邸に行くと、彼女はよろこんで、ちょっと大げさだけど、ごめんなさい、といいわけをしながら、趣味のいい、細工をほどこした銀の燭台にキャンドルをともした。離婚後の一時期、神経を病んでいたその友人は、病院から両親の死後ずっと締めてあった古い家に戻ってきて、これらの古い銀器を手にしたとき、思ったという。これがあれば、もういちどやりなおせる。
 また、ニューヨーク生まれのユダヤ系の友人夫妻は、結婚したときに、老人ホームにいる叔母さんから贈られた、銀器のセットを見せてくれた。その叔母さんは、戦争のときにポーランドから、いのちからがら逃げてきたのだったが、それでもこの銀器だけは手放さなかった。歳月がすぎて、ニューヨークの暮らしが落ち着いたとき、叔母さんは、その厖大な数のセットがそっくり入る、五段重ねのビロウドを張った食器用ケースを作らせた。ナイフやスプーン一本一本の柄に押された「純銀」のマークを確かめながら話をすすめる友人のよこで、私は、叔母さんがポーランドに残してきたという、赤い糸でこまかく刺繍したカーテンのかかった、白い清潔な台所や、どっしりとしたホウロウのオヴンや、窓際に置いたゼラニウムの鉢のことを思った。
 銀の古い食器がトランクから出てきたとき、マルグリットにも勇気がわいて、これがあればアメリカでだって暮らせるという深い安心といっしょに、定住への意志の、すくなくとも小さな芽ばえが生まれたのではなかったか。

 (2017 株式会社河出書房新社 須賀敦子須賀敦子全集第3巻』pg124-125)

 
この文章が印象に残る理由。それは、僕の両親が子どもの頃から、実家にある銀器を、父と母が亡くなったあとに弟と均等に分けるようにしていると散々言われ続けてきたからだった。子どもの頃は、銀器にどれだけの価値があるかもわからないし、その美しさについても当時の僕には感じることができなかったから、いつも話半分に聞いていて、それでも何度も言われるからすごく大事なことなんだろうとは思っていたが、つい最近になるまで銀器のことが頭に浮かぶようなことは一切なかった。
それが、今年の正月にも銀器の話になって、今度は父と母が亡くなったときの具体的なところまで話が及んだ。もし体が動かなかっても延命処置は絶対にしてほしくないということ、そのことを既に書面としてしっかりと記載していること、亡くなったあとに僕の家族と弟家族それぞれに譲りたい物。正月早々に聞きたい話ではないし、父と母が亡くなったときのことなんてできれば考えたくもないが、家族で会社を経営している以上、息子である僕に伝えるべきところは伝えておこうという思いがあることは僕にも重々伝わっているし、それをしっかりと受け止めなければならない。
 
実家の会社は祖父が創業し、それから今は父が継いでいて、そのあとは僕と弟で継ぐことになる。斜陽産業の業界であるから、これから何か対策をしなければならないが、小さい会社なのであまり冒険はできない。新しいことは僕の代になってから始めろと父は言っている。業界の状況だけでなく、どんなに楽観的に考えても、会社を継いだあとに乗り越えなければいけないことが山ほどある。それを目の前にしたときに、父と母がいれば相談することはできるが、もし父も母もいなかったらどうすればいいだろう。もちろん弟と話し合いながら前に進むしかないわけだが、完全な自己責任のもと、会社全体の舵を切っていかなければならない。こんな僕の精神が耐えられるだろうか。たびたび考えては不安になる。
須賀敦子のこの文章を読んで、実家にある銀器のことを思い出した。この文章を読んで以来、実家にある銀器について思いを巡らすことがあって、父と母がどういう思いで銀器を僕らに渡すつもりなのかということも、少しはわかるようになった。会社でも私生活でも何か問題があったときに、今はとても頼りにしている父と母がいないとすれば、そのときには僕の手元には受け継いだ銀器があるということだ。1人ではとても耐えられない状況になったとき、そばに銀器さえあれば、それを乗り越えるための「すくなくとも小さな芽ばえが生まれ」るかもしれない。

2019/01/22

昨日やっていたテレビ番組『Youは何しに日本へ』で、浦和レッズが好きで日本語を勉強したというドイツ人が出ていた。

ドイツのドルトムントバイエルンなどではなかなか選手と近づくことが難しいが、浦和レッズだと選手との距離も近く感じるし、ファンの間での交流も盛んだという。ただ、浦和レッズの情報はすべて日本語で出ている。それで日本語を勉強したのだという。

 

まだ若い男性だったが、何という情熱だ!言語を勉強する上で1つ大切なことは、なぜその言語を習得したいのかという情熱なのだろう。言語の学習はとにかく毎日その言語に触れること、そして使うこと。つまりは行動である。使っては間違え、その間違いに認識するだけ上達する。英語を勉強したときに実感したはずのことだが、長い間その情熱を持たずに生きてきたからかすっかり忘れていた。教材を使って自分でフランス語を勉強するつもりでいてそのままになっていたが、なぜ勉強したいのか、そこから考え直した方がいいのかもしれない。改めて英語を勉強するほうがどれだけ情熱を持つことができるか…。

雛人形購入

朝から鼻炎がひどく、鼻水が止まらなかった。アレグラを飲んでだいぶおさまったが、鼻炎がひどいときは、ただの鼻炎なのか風邪なのかわからないし、頭もぼーっとしてくるから厄介だ。
 
今日は娘の雛人形を買いに行った。妻の雛人形をそのまま受け継ぐのか、それとも新しいのを購入するのか迷ったのだけれど、妻の雛人形が家に置くには大きく、また少し黄ばんだ状態があるとうことで新しく購入することにした。
購入したのは博多人形雛人形である。あらかじめネットで目星をつけていたものを見に行って、結局それを購入することになったのだけれど、実際に店舗に行って観に行ってよかった。購入したのは立ち雛ではなく、座った状態の雛人形なのだけれど、立ち雛も存在感があってよかった。
今回購入する決め手となったのが、雛人形の顔だった。色んな作家の雛人形があって、もちろんどれも顔が違う。源氏物語の挿絵にでも出てきそうな平安時代っぽい顔もあれば、もう少しはっきりした顔もあって、今回購入したのははっきりした方の顔の雛人形である。妻も僕も感じたことなのだが、女性の方がどことなく赤ん坊に似ている。店員さんが言うには、美人女性を得意とする作家さんなのだそうだ。ネットでははっきりとわからなかったが、他の雛人形と比べても目の感じが優しげで魅力的な印象を受けた。
 
娘は順調に成長していて、つい2日前のことだが、今まで寝返りしていた方とは反対方向にも寝返りができるようになった。どっちの方向にも寝返りができるようになったし、どこを起点にして動いているのかわからないが回転することもできるので、360度動きたい放題、楽しそうである。

ボヘミアン・ラプソディ

かなり乗り遅れた感はあるが、話題の『ボヘミアン・ラプソディ』を観てきた。昨日、YouTubeを観ていると、おすすめにQueenLive Aidの映像が出てきて再生したところ、あまりに懐かしく、そしてそのパフォーマンスに感動して観に行きたくなった。2時間半もある映画とは知らなかったが、最近徒歩圏内に映画館ができたこともあって、妻に許しを得て、今日観にくこととなった。
僕の洋楽デビューは中1だったのだが、当時寮で同じ部屋だったやつがマセガキで、そいつの兄貴の影響で洋楽を聴いていたので、なにくそと自分も背伸びして聴きたくなったのがきっかけだった。そのときに初めて手にとったのがQueenだった(ちなみに、最初にビートルズを聴かなかったのは、当時の中学の教科書にビートルズの曲が載っていたりして、あまりにも有名すぎてミーハーな感じがしたから、青春真っ盛りの僕からするとその選択肢はなかったのである)。夏休みだったか、実家に帰省したときにQueenの話をすると、母の青春時代に聴いていたらしく、話が盛り上がったのも僕のQueen熱をさらに加速させた。キラー・クイーン、ボヘミアン・ラプソディ、セイブミーなど劇中に登場した曲も好きだったが、何より好きだったのは、フレディ・マーキュリーのパフォーマンスだった。父にライブビデオを買ってもらって擦り切れるほど何度も観た。フレディ・マーキュリーは背筋をピンと伸ばして、姿勢良く歌うその姿は、当時からゲイだということを知っていたけれど、それでもなお虜にさせられるほど魅力的だった。最近はほとんど聴いていなかったが、僕にとってQueenはとても思い出深いミュージシャンなのだ。
ボヘミアン・ラプソディ』自体もずっと気にはなっていたのだけれど、たぶん昨日たまたまLive Aidの映像を観なかったからいくことはなかったと思う。
 
前置きが長くなったが、『ボヘミアン・ラプソディ』は素晴らしく良かった。Queen自体は好きだったけれど、今回映画を観ることで初めてフレディ・マーキュリーの大まかな生涯を知ることとなった。物語だから、最後のLive Aidのライブ映像で最高に盛り上がるように、フレディ・マーキュリーの生涯をいいように切り取っているのだろうが、それでもそれぞれの出来事が歌の歌詞にどのように反映しているのか、そして歌が意味することを初めて知ることとなった。Live Aidに入るまでの2時間があるからこそ、1曲目のボヘミアン・ラプソディのメロディーとその歌詞があれほど胸を打つのだろう。We are the championでは嗚咽を漏らしそうになるほどに感動してしまった。伏線の回収という言葉は嫌いだが、『ボヘミアン・ラプソディ』の物語、フレディ・マーキュリーの物語は、Live Aidボヘミアン・ラプソディの歌詞で、すべてが回収されることとなる。もう一度言うように、この映画自体がそのように物語を作り上げ、編み上げているのだとしても、多少の脚色はあるのだとしても、映画で語られた多くのことが事実であることに間違いはないのだろうし、Live Aidのライブにしても、僕が昨日YouTubeで観たように、物語がなくても人々を感動させるパフォーマンスだったことには間違いないのである。