Life Itself

生活そのもの

ボヘミアン・ラプソディ

かなり乗り遅れた感はあるが、話題の『ボヘミアン・ラプソディ』を観てきた。昨日、YouTubeを観ていると、おすすめにQueenLive Aidの映像が出てきて再生したところ、あまりに懐かしく、そしてそのパフォーマンスに感動して観に行きたくなった。2時間半もある映画とは知らなかったが、最近徒歩圏内に映画館ができたこともあって、妻に許しを得て、今日観にくこととなった。
僕の洋楽デビューは中1だったのだが、当時寮で同じ部屋だったやつがマセガキで、そいつの兄貴の影響で洋楽を聴いていたので、なにくそと自分も背伸びして聴きたくなったのがきっかけだった。そのときに初めて手にとったのがQueenだった(ちなみに、最初にビートルズを聴かなかったのは、当時の中学の教科書にビートルズの曲が載っていたりして、あまりにも有名すぎてミーハーな感じがしたから、青春真っ盛りの僕からするとその選択肢はなかったのである)。夏休みだったか、実家に帰省したときにQueenの話をすると、母の青春時代に聴いていたらしく、話が盛り上がったのも僕のQueen熱をさらに加速させた。キラー・クイーン、ボヘミアン・ラプソディ、セイブミーなど劇中に登場した曲も好きだったが、何より好きだったのは、フレディ・マーキュリーのパフォーマンスだった。父にライブビデオを買ってもらって擦り切れるほど何度も観た。フレディ・マーキュリーは背筋をピンと伸ばして、姿勢良く歌うその姿は、当時からゲイだということを知っていたけれど、それでもなお虜にさせられるほど魅力的だった。最近はほとんど聴いていなかったが、僕にとってQueenはとても思い出深いミュージシャンなのだ。
ボヘミアン・ラプソディ』自体もずっと気にはなっていたのだけれど、たぶん昨日たまたまLive Aidの映像を観なかったからいくことはなかったと思う。
 
前置きが長くなったが、『ボヘミアン・ラプソディ』は素晴らしく良かった。Queen自体は好きだったけれど、今回映画を観ることで初めてフレディ・マーキュリーの大まかな生涯を知ることとなった。物語だから、最後のLive Aidのライブ映像で最高に盛り上がるように、フレディ・マーキュリーの生涯をいいように切り取っているのだろうが、それでもそれぞれの出来事が歌の歌詞にどのように反映しているのか、そして歌が意味することを初めて知ることとなった。Live Aidに入るまでの2時間があるからこそ、1曲目のボヘミアン・ラプソディのメロディーとその歌詞があれほど胸を打つのだろう。We are the championでは嗚咽を漏らしそうになるほどに感動してしまった。伏線の回収という言葉は嫌いだが、『ボヘミアン・ラプソディ』の物語、フレディ・マーキュリーの物語は、Live Aidボヘミアン・ラプソディの歌詞で、すべてが回収されることとなる。もう一度言うように、この映画自体がそのように物語を作り上げ、編み上げているのだとしても、多少の脚色はあるのだとしても、映画で語られた多くのことが事実であることに間違いはないのだろうし、Live Aidのライブにしても、僕が昨日YouTubeで観たように、物語がなくても人々を感動させるパフォーマンスだったことには間違いないのである。