Life Itself

生活そのもの

2019/11/21

娘にダウンジャケットを買った。ユニクロのものだが、あったかそうで、デザインもかわいい。乳幼児用の服は、実際に着てもらうと一層かわいさが増す。妻も楽しそうに娘の服を選んでいる。成長とともにすぐに小さくなると考えないわけではないが、それよりも服を着た可愛い姿を見たいという気持ちが勝ってしまう。

土曜日はつくば天幕。あいにく、つくば市の予報は雨になっている。降水確率90%。それでもすでに設営が始まっているようで、荒天の場合は会場変更とあるが、よほどのひどさでなければ変わることはなさそうだ。 しかし、雨にこの寒さはたぶん相当しんどい。フジロックの夜でさえ体が震えるほどなのに、さらに気温が下がった中で、しかも雨の中の野外フェスというのは過酷かもしれない。楽しみではあるが、最悪の状況を考えて用意するのが良さそうだ。

僕は聞いていないのだが、娘は今日初めて単語を2つ並べて話したそうだ。アンパンパン バイバイ と。アンパンパンというのは、アンパンマンのこと。大きな大きな成長だと思う。きっと パパ おはよう と言われるのもそう遠い未来ではない。

2019/11/20

深夜、娘は咳が止まらなくなって起きて、それからなかなか寝ることができず、2時間くらい咳をしながらずっと泣いていた。それが二夜続いたので、今朝病院へ連れていった。今週は渋さ知らズのつくば天幕で筑波に行く予定にしているので、早めに診てもらうのがいい。お医者さんが言うには、鼻水が止まらないので咳が出てしまっているのだろうということだった。喉は腫れておらず、特に異常はないとのことで安心した。2時間も咳が続くと、近くにいる僕らもとても不安になる。話すことができないので、どんな感じに辛いのかわからない。娘が生まれてから、近くの病院には頻繁にお世話になっている(僕も妻も娘から風邪をもらって病院へ行く機会が増えた)。

娘はお医者さんに診られている間は必ずギャン泣きするし、暴れる。聴診器を当てられているときは、看護師さんに体をおさえてもらって、妻か僕は手をおさえなければいけない。娘は切り替えが早い。診察が終わるとわかると、すぐに愛想がよくなって、お医者さんと看護師さんにバイバイをする。その様子がおかしいらしく、娘の顔と名前は皆さんから覚えられているようだ。そうは言っても、病院にはそんなにお世話になりたくはない。

父や母に何か頼みごとをすると、すぐにやってくれる。その早さにいつも驚かされる。いつでもいいよ、くらいのノリで頼んでも、頼んだ日中には何かしらの進捗の連絡がくる。

僕が極端に遅いだけなのだろう。仕事はそんなに遅い方ではないとは思うが、私生活だと行動が本当にノロマになる。反省することがないからタチが悪い。ようやくそのことに気づいた。 父と母の行動の早さに影響を受けたのか、珍しく今日は行動が早くなっていた。そうすると、思いがけない良いことがあった。いつも通りのスピードで行動していては起こり得なかったと思う。 僕のカルマの一つは、このスピードの遅さである。ウサギと亀で言う、亀であると自分では思っていたが、ちょっとよそ見をしすぎていたのかもしれない。亀は前だけを見て一歩ずつ歩くからうさぎを追い越したのだ。よそ見をする亀は亀ではない。ただのナマケモノ

今年の年末から来年にかけての目標は、行動を早くしていくこと。いきなり、考える前に行動というのは難しいかもしれないから、考えることと行動を同時並行に行っていくこと。思考のスピードも意識しなければいけないだろう。

2019/11/19

昨年の今日の日記。

この数日間で赤ん坊に変化が見られるようになった。

1つ目が、風呂に入ってもリラックスするようになった。これまでは風呂に入れるとこぶしを握って体も強張らせていたのだが、3日前くらいからこぶしを握らなくなって、しかも足でお湯を蹴って遊ぶようにまでなった。急成長である。あの体を強張らせる姿も可愛らしかったのだけれど、リラックスしてくれてだいぶ洗いやすくなって助かっている。 2つ目は、上唇と下唇を重ね合わせてはむはむするようになった。これも3日前くらいから。この表情がとても可愛いのだが、産まれたてのときに撮った写真が同じように唇ではむっとしていて、妻ははむはむする顔を見ると産まれたときの顔を思い出すと言っている。唇の感触が気持ちいいのだろう。赤ん坊の唇は真っピンクで、とてもぷっくりとしている。 で、最後に髪が抜けてきた。特に後頭部が。髪が長いのでなんとかごまかすことができていたが、もはやごまかしが効かないほど抜けている。おハゲちゃんだ。これは4ヶ月くらいの赤ん坊によくあることらしい。

赤ん坊をすぐ横に寝かせて2人でテレビを観ていたら、急にギャン泣きし始めた。何ごとかと思って顔を見てみると、目のすぐ上のあとを引っ掻いたような痕があって血がにじみ出ていた。とても痛そうな深い傷だ。少し目を離していた間に、自分の爪で引っ掻いてしまったのだろう。妻は昨日爪を切ったばかりだと言っていたが、深爪をするわけにもいかないから、爪は少しだけ残っている。今回はたまたま引っ掻いただけだと信じたいが、いつも手をバタバタさせているので、またやってしまうかもしれない。ミトンをずっとはめるわけにもいかないし、どうしたものか。

読んでいるとその時の様子が蘇ってきて、懐かしくなってくる。こんなとき毎日日記を書いていてよかったと思う。

  • ようやく風呂に慣れてきた頃だったか。今では立った状態で風呂に入れていて、リラックスどころか色々なところに手を出すのをおさえるのに必死だ。風呂に入るよと言うと、自分でお風呂グッズを持って風呂場に歩いていくのが可愛らしい。

  • はむはむの表情。最近ハマっている表情はなんだろう。少し前までは鼻の下を伸ばす表情をしていたが、最近はあまりしなくなった。どの表情が、というよりは、表情が豊かになって面白がっていろんな顔をしているように思う。

  • 髪の毛。後ろ髪は肩より少し下、肩甲骨くらいまでは伸びているだろうか。ハゲていたのが懐かしい。布団で擦れて抜けていったんだっけか。

  • 顔の傷。公園に行っても、家の中でも、歩くというよりはもう走っているに近い歩き方でどたどたと動き回っては、どこかに引っかかって転ぶ。顔から転ぶこともある。そんなに大きな傷をつけることはないが、ちょっとした傷ならしょっちゅうつけている。転んで少しどこかをぶつけるくらいなら、痛そうな表情をして僕らの方を見るけれど、我慢して泣かなくなった。

1年でこんなにも成長するものか。来年はどうなっているだろう。

2019/11/18

昨日の日記を書いた後に、風呂で森田真生の『数学の贈り物』を読んでいると、宇宙ということばに関して僕がひっかかっていることに近い内容が107ページから108ページにかけて書いてあった。

マルクス・ガブリエル(Markus Gabriel, 1980- )が著書『なぜ世界は存在しないのか』でくり返し口をすっぱくして語っているように、そもそも「宇宙」は「世界」ではない。「宇宙」とは、あくまで物理学の研究領域のことにすぎない。そこには、公園もなければ、親子の関係もない。だから、「宇宙」について研究することは、「すべて」について考えることではない。宇宙は、世界全体(そんなものが存在しないということがガブリエルの主張であるが)よりもはるかに小さい。だが、ビッグサイエンスに熱狂する背景には、「宇宙」と「世界」を混同するのに似た誤解がどこかに紛れ込んでいるのではないか。重力波についての研究が、たとえば仏教史や芭蕉の文学にまつわる研究より「先端」だと考えるべき理由はないのだ。科学の成果は喜ばしいが、間違った方向に過大評価しないように気をつけなければならない。 肝心なことは、知の本質に最も肉薄した特権的な場所など、どこにも存在しないということである。「最先端」だけが価値ある場所ではない。「研究するとは、情熱をもって物事を問うこと以上のものでも以下のものでもない」と言ったのは数学者のアレクサンドル・グロタンディーク(Alexander Grothendieck, 1928-2014) だ。 すべての人が、いまある場所で、「情熱をもって物事を問う」ことこそが、学問の生命である。

「宇宙」が「世界」であるかのように、「世界」が「宇宙」であるかのように、わかったように語られることが僕の最大の違和感なのだ。「世界」は繋がっている、ほら素晴らしいだろ?という姿勢が我慢ならないときがある。

森田真生の『数学の贈り物』は思い出したように少しずつ読んでいて、しばらく読んでいない時期もあったのだが、最近風呂に浸かるようになってまた読み始めた。で、昨日の日記を書いたら上のことが書いてあった。まさに自分自身に一番響くときに偶然読むことができたわけではあるが、思えばその違和感というのも、僕が普段接している本やら人やらに影響を受けてのものなのだということなのだろう。違和感があるからそういった本を手に取っているのか、本を読んだから違和感が生じるようになったのか、よくわからないが、いずれにしても手に取る本の多くはその違和感に対してのなんらかのヒントを与えてくれる。小沢健二の『So Kakkoii 宇宙』もそうだ。まだ小沢健二の言う「宇宙」が僕の違和感のある使われ方をしているのかそうでないのか判断できていないが、どちらにしてもこのアルバムは僕にとっては大きな刺激になっている。音楽的に、そして歌われている内容的に。

引き続き、与えられたヒントをもとに、しつこくしつこく考えていくしかない。

小沢健二 SONGS

昨夜の小沢健二のSONGSは観ていてすごくワクワクした。 Twitterでツイートした内容も面白かったし、ライブ映像で歌詞が楽しい感じで字幕が出てきて、歌詞を追いながら音楽を聴くというのも良かった。最近アルバム『So Kakkoii 宇宙』はリリースされて以降毎日必ず1回は聴いているが、言葉数が多くて音楽自体の情報量も多いから、まだきちんと咀嚼できていない。ただ、SONGSで『薫る』のライブ映像を歌詞を追いながら観て、この曲すげーと思った。名曲。

SONGSで小沢健二Twitterにハマっていると言っていたけれど、彼がツイートする内容は興味深いし、今さらながらTwitterはこんなに魅力的なツールなんだと思い知らされて、僕もツイートしたくなった。なんとなくツイートするというのは面倒くさくて、今のところ僕はこのブログを上げたことを知らせることにしか使っていない(そのツイートをあげるとなぜかツイートの画面上でブログの最初の方が見れるようになっていて少し恥ずかしい。本当はタイトルだけにしたいのだけれど)。だが、ちょっと思いついたときとか、誰にでもなく気軽につぶやくにはTwitterは良いツールなんだなぁと思った。

小沢健二Twitterや『So Kakkoii 宇宙』に接していると、ことばとか考えるということはやっぱり大切で面白いことなんだよね、と思う。昨日の日記で、最近日記を書くときにあまり考えていないと書いたけれど、そういう日があるのはいいとしても、しつこくしつこく考え続けるということが、その日には何も書くことを生み出さなくてもその後にそれが何らかの形になる。

アルバムタイトルの宇宙ということばだが、僕はこれまでにも書いたように、小宇宙とか繋がるとかそういったことばを簡単に使ってしまうのがどうしても嫌で、あまり好んで使わないようにしている。僕らも「宇宙」の一部で「繋がっている」ことには違いないとしても、きちんと目の前のことを見ずしてそういうことばを使うのは違うと思っている。目の前のことをきちんと見ていなくても、「宇宙」とか「繋がる」というだけで何となくわかったような気になるから、これらのことばは少したちが悪い。宇宙ということばがあると少し構えてしまうけれど、小沢健二がSo Kakkoiiと形容詞をつけたこの宇宙ということばで何を言わんとしているのか、アルバム全体の歌詞を見ながら、音楽を聴きながら、しつこくしつこく考えてみたいと思う。

2019/11/16

最近の日記は娘のことを書くことが多い。沖縄旅行あたりから娘がどんどん成長しているのを感じていて、書くことで改めてその成長がうれしくなり、書くのはそれだけでいいやとなる。それはそれで構わないのだが、なんだか娘の成長観察日記を書いているだけのようで、これでいいのかなぁと少しもやもやすることもある。ある意味で惰性で書いている。考えていない。 娘の成長日記を書くなら、いっそのこと下手くそでもいいから写真を載せた方がいいような気もする。僕自身は娘の写真を公開することにそこまで抵抗はないが、どうだろう。将来、娘は嫌だと感じるかもしれない。少し考えよう。

Foo Fightersの『One By One』を久しぶりに聴いたらすごく懐かしくなった。2002年は他にもBeckの『Sea Change』、レッチリの『By the Way』など、よく聴いた。リンクレイターの『Boyhood』を観ると当時の感じをよく思い出す。最近観たわけではないけれど、映画のことを思い浮かべるだけで当時のことも一緒に思い出す。『Boyhood』と言えばイーサン・ホークで、イーサン・ホークと言えば最近だと是枝さんの『真実』。いい映画だった。もう一度映画館で観たい。

2019/11/15

ハイレゾ音源を聴くことができるAmazon HDを契約してから、ストリーミングで音楽を聴くことが多くなった。ゆったりと音楽を聴きたいときはアナログを聴くこともあるが、仕事をしながら音楽を聴くときには専らストリーミングだ。ハイレゾ音源も豊富で、Bob DylanVan Morrison、The Band、Neil Youngあたりから、Kendrick Lamar 、Frank Ocean、チャンスザラッパーなど最近の音楽まで聴くことができる。決め手は、坂本龍一の『async』のハイレゾ音源だった。アナログとはまた違う印象だが、CDよりも音のきめ細やかさのようなものを感じることができた。

ストリーミングのサービスとしては他にSpotifyも契約していて、Amazon HDの契約を機に解約することも検討したのだけれど、今のところはそのまま契約しておくつもりだ。Spotifyでしか聴くことができない音源があるのと、アプリの使いやすさ、また新しい音楽との出会う確率はSpotifyの方が圧倒的に高いと思う。これまでもSpotifyが自動でオススメしてくれたものからハマった音楽がいくつもある。Amazon HDはあくまでよく聴く音楽をストリーミングで手軽に、しかし良い音質で聴くという感じになりそうだ。

山下達郎はストリーミングで配信していないからCDを買う機会が完全になくなることはないとは思うけれど、たぶん数ヶ月に1枚程度になるのではないかと思う。音質の面でCDを購入していたところがあったが、ハイレゾがここまで手軽に聴くことができるようになると、CDでしか手に入らないということがない限り、CDを買う理由がほとんど見つからない。レコードほどフィジカルとしての存在感があるわけでもないし。ただ、気になっているのは小沢健二の『So kakkoii 宇宙』のCD。普通のCDよりちょい高めで、限定版とあるからどんな感じなのか気になっている。CDの大きさであっても、ジャケットを見てみたいというのもある。何より、このアルバム、So kakkoii感じなのだ。