Life Itself

生活そのもの

赤ん坊の瞑想

昨夜寝る前に瞑想をしようとしたところ、妻も一緒にやると言って、起きてはいるがおとなしくしている赤ん坊と同じ部屋で瞑想をすることにした。10分瞑想である。
あまりにもおとなしかったので予感はしていたのだが、やはりそうだった。瞑想を始めて3分ほどした頃に最初の放屁をし、その30秒後、かなり大きい放屁を立て続けに3回した。次第に強烈な臭いも襲ってきた。排便である。
 
1回目の放屁の時点で、僕も妻も吹き出して集中力は途切れてしまったのだけれど、そのまま瞑想を続けることにした。妻は次の3回の放屁で切り上げ、赤ん坊の方へ。妻は赤ん坊の便について実況をし始めて、それは独り言なのか僕へ伝えようとしているのかわからないけれど、目を閉じている以上、僕の耳と鼻の感覚は研ぎ澄まされているわけで、便の実況とその臭いを受けながら瞑想をしたのだった。集中力は途切れていたのであまりいい瞑想とは言えなかったけれど、いつも以上に耳と鼻の感覚は働いていて、考えることなく感じていたわけで、そういう意味では瞑想であることに違いはなかったのである。
 
しかし、瞑想を始めたのとほぼ同じタイミングで、赤ん坊は排便を始めた。排便はある程度の集中力が必要なのだろうか。排便中の赤ん坊の様子を見るとそんな気もしてくる。排便をしているときの赤ん坊は他のときとは明らかに違う。口をすぼめたり歪ませたり表情に動きはあるが、視点はどこか一点に集中している。足はぴんと伸ばし、腹筋に力を入れていることがわかる。普段はいろんなところに興味を持つが、排便のときだけは何にも興味を示さず、感覚はお腹だけに集中しているようである。これは瞑想そのものではないか。