Life Itself

生活そのもの

2018/07/22

赤ん坊は僕らの助けなしでは生きていくことができない存在ではあるが、赤ん坊の表情や仕草、存在そのものは僕らの生活に彩りを与え豊かにしていて、赤ん坊がいることで逆に助けられているというのか、極端に言えば、赤ん坊さえいれば、音楽を聞かなくても、映画を観なくても、本を読まなくても、とても濃密な時間を過ごすことができていて、赤ん坊がいなくてはこんな贅沢な時間の過ごし方はできない。たとえギャン泣きした状態であっても、抱いたときの赤ん坊の匂いや表情や体の重みといったものはすべての感覚を刺激していて、抱いているだけでとても幸せな気持ちになることができる。これはもちろん父という存在だからこそ感じることができるものであって、授乳などでもっと深く赤ん坊と関わっている妻からすれば、時間を奪われているという感覚も強いだろうし、きっと僕よりもずっと複雑な感情を抱いているだろうが、それでも僕ら夫婦の共通感覚として、赤ん坊は何よりも大切で優先順位が高い存在となっているのは間違いない。
 
育児休暇も気づけば既に10日以上経過している。赤ん坊が産まれる前は料理なども作ったりしてもっとサポートするつもりでいたが、とても料理を作る余裕はなくて最低限のことしかできておらず、あまり妻のことをサポートできていない。妻には申し訳ない気持ちもあるが、育児休暇を取ってよかったと思っている。赤ん坊が産まれてからの1ヶ月を3人だけで過ごすことができるというのは、たぶんすごく贅沢なことで、何にもかえがたいものなのだ。