Life Itself

生活そのもの

本に折り目をつける

小説でもエッセイでも学術本でも、気になる箇所があれば本に折り目をつける。線を引くまではしない。昔は線を引いていたのだが、引かなくなったのは、再読したときに線を引いた時の心情が生々しく思い出され、ひどく恥ずかしくなったことがあったからだ。それで、折り目だけをつけることにした。

ちょうどいま、ある本を再読している。その本を読むのはたぶん三度目だ。割と分厚目の本で、いろんなページに折り目がついているのだが、折り目をついているページに行きつくと少し意識してしまう。読んだときに印象に残ったから折り目をつけているはずで、再読してどのような印象を受けるのか楽しみであり、少し恥ずかしくもあるが当時何を感じながら読んだのか思い出したい気持ちもある。

昨日、今日と、何ページも折り目のページに行きあたった。ところが、折り目のページを読んでも、そこまで感じるものがないことの方が多かった。むしろ折り目をつけているページの直前直後の方が気になることが多く、そこにも新たに折り目をつけるため数ページ連続で折り目があるという状況になっている。折り目だらけの本。

再読の醍醐味の一つはここにあるのだろう。一度読んで印象に残ったから再読するのだが、二度目、三度目では印象に残る箇所が異なる。年齢のせいもあるだろうし、単純な気分によるものかもしれない。読書というのは体験なのだ。体験なのだから、体験するたびに感じるものが違うというのは考えてみれば当たり前だ。ヨガと同じように、毎日同じ本を読んだらどんな感じになるのだろう。一度試してみたい気もする。