Life Itself

生活そのもの

2019/09/09

・娘がだいぶ話すようになってきた。きちんとしたことばを話すわけではないが、よりことばに近い音を発するようになってきた。

一番嬉しいことは、よく僕を見て「パパ」と言うことだ。もっとも、僕以外の人やモノを見ても「パパ」と言うこともあるから、僕のことを「パパ」と言っているわけではないのかもしれない。だが、明らかに僕を指差して「パパ」と呼ぶことがあって、それはもう嬉しい。 妻に向かって「ママ」と言うことはあまりないから、なんだか勝ち誇ったような気分である(妻には「ババ」ということはる。最近、妻は「ママ」と呼ばせようと躍起になっている)。

何かを指差してはことばのようなものを発して、しきりに訴えてくる。何を言いたいのだろう。「これ見て」とか「これ◯◯だよ」とかそんなことかもしれないが、何かを見てそこから何かを感じ、それをことばとして僕らに伝えようとしている。もう生まれて1年2ヶ月が経ったのだ。そりゃ伝えたいこともたくさんあるだろう。何かを伝えるにはことばが必要だということもわかったのかもしれない。しかし、伝わらないことにもどかしさを覚えているだろうか。あまりそうは見えない。娘は伝えたいことがあるということ自体を楽しいと感じているようにも見える。

・この数日間、妻が風邪をひいていることから、娘の面倒はできるかぎり僕が見ている。1人で全ての世話をするというのは本当に大変で、妻はいつも少し早めに会社を退社して、その世話を1人でやっているのだと思うと、頭が下がる。特に最近、娘は食べが悪いので、なんとか工夫して食べさせなければならないのだが、娘も意気地になって食べてくれない。頭を横に振って、露骨に食べたくないという意思表示をする。食べたくなるまで待つか、半ば無理やり食べさせるしかない。本当に大変だ。