Life Itself

生活そのもの

少しずつ健康的に

最初は子どものためにと思っていたが、どうやら子どもの「おかげ」で僕の体は少しずつ健康になっているらしい。健康になっているらしいというところの根拠は、あくまで先日もらった血液検査の結果と、少しずつ減少している体重の数値によるものにすぎず、相変わらずクソほど体調の悪い日もあるけれど、それでも総じて言えば体調がいい日は以前に比べて確実に増えている(体重が減少したと言っても、見た目はまだ小太りだから、少なくともあと5キロは落とさなければならない)。

子どものおかげとは言っても、1歳の子どもが直接的に僕に何かをしてくれるわけではない(強いて言えば、朝早くに強制的に起こしてくることくらいだろうか)。子どもの行為ではなく、その存在によって、僕は健康になっているのだということだ。

これまでにも書いてきたように、子どもが生まれたことによって、僕と妻の生活は変化を余儀なくさせられた。ポジティブなものもあれば、ネガティブなものもあった。大したものではないので先に言っておくと、ネガティブなものとは、物を捨てなければならなくなったことと、お金の面だ。物を捨てる必要性は頭では理解しているけれど、それを実行するのはとても苦手で、毎回物を捨てた分だけ心も擦り切られているように感じてしまう。お金に関しては単純に自分で買えるものが少なくなったこと。レコードとか本とか服とか。

もっとも妻は僕よりもずっと子どもに関わる度合いが高いので、僕とは違う意見を持っているかもしれない。

あ、自分の時間は極端に少なくなった。これは僕よりも圧倒的に妻にとってのネガティブなもので、少しずつ妻の時間を作っていくことができるよう、これから成長する娘とも協力していかなければならない。

上にあげたもの以外は、ポジティブな変化ばかりのように思う。それがたとえしんどいものであっても。

子どもが生まれたことによる変化の1つが、外食が極端に少なくなったことだ。子どもを連れて行っても問題ないところであれば今でも外食することはあるが、やはり場所も時間も限られてしまうし、子どもが泣いてしまうととても神経を使う。もちろん、ディナーに行くことはなかなかできない。 外食が少なくなったおかげで、お金の節約になっただけでなく、脂分の多い物を食べることが少なくなった。外食が少なくなったということは、家で食べることが多くなったということた。少し前までは宅配を頼んでいて、こればかりを食べていた。宅配をやめてからも出来る限り体にいいものをと妻が気を使ってくれている。外食がなくなったことは多少なりとも体にいい影響を与えているように思う。

そして、早起き。休みの日であっても保育園に行くために早起きせざるを得ない。さらにヨガをやるための時間を確保するために、以前より30分早く起きるようになっている。保育園に起きる日は、今までよりも1時間早く起きなければならない。 翌朝早起きしなければならないとわかっていてもなかなか早寝することができないので、ときに、というかたいていの朝はしんどい。それでも、朝だいたい同じ時間に起きるというのはとても大事なことだ。それは体にとってもそうだが、心にとって特にそのように感じる。 当たり前のことだが、1日は起床とともに始まる。起床の時間が日によってバラバラだと日々のリズムがずれてきて、体と心を徐々に蝕んでいく。どんなにしんどくても朝早く起きるようになって、そのことを強く実感した。

今のところ体は順調だけれど、肝心なのはこの状態を維持することだ。娘が生まれたことで健康的になった生活だが、僕らが健康的に生活することは娘にとっても間違いなくいいことなのだから、娘にリードしてもらっている今の情けない状態から抜け出して、僕らがリードしていくようにならなければならない。