Life Itself

生活そのもの

2019/08/02

今日は仕事があまりにも忙しくて余裕がなかった。それ自体は別に何ともないのだが、今日は月に5回しかないせっかくの在宅勤務日で、リビングで娘の存在を感じながら仕事をするつもりが仕事に集中するため書斎に篭りっきりの状態で仕事をすることとなり、昼休み以外は娘の顔を見ることさえできなかった。昼休みに顔を見るだけでもありがたいと思わないといけないのだけれど、育児のための在宅勤務制度を利用させてもらっているのだから、娘の様子を少し見ながら仕事をしたかった。在宅勤務であっても仕事が忙しいかどうかは関係ない。在宅勤務を始めて1年になるが、まだそのやり方を模索中というところだ。

ぐったりと疲れているのに真面目なことばかりを考えてしまう。もっとくだらないことをしたり考えてもいいのに、くだらないことはなかなか思い浮かばない。疲れているのに、だからか、疲れているから、なのかはわからないが、真面目なモードに入るとそこから抜けるのは難しい。くだらないスイッチがあって、そのスイッチは手の届きにくいところにあるようだ。 効率がいい=いい仕事ができるといわけではないく、グダグタくだらないことを考えている方が、仕事でもいいアイディアが思い浮かぶことが多いような気がする。くだらないことを考えることできる状態になるために何をすべきか。それはきっとリセットすることで、リセットするためにはやはり体を動かすこと、ヨガをすることが一番早い。結局ヨガに行きつく。

ということで、夕食後にヨガをした。忙しかったから体が硬いだろうと思っていたが、今までの経験だと逆に柔らかいことが多く、今日も柔らかくて深い呼吸ができた。いいヨガをすることができた。

で、夜は妻が用事があって、娘と留守番することになった。家を出るまでに妻は娘を寝かしつけてくれたのだが、30分くらいで起きてしまった。よくあることだ。仕方がない。だが、いつもは授乳をして寝かせるのだけれど、僕は授乳することはできない。ここからいつもの戦いがはじまった。授乳という最強の武器なくいかに戦いを終えるか。武器なき戦い。 最初はどう寝かしつけようとしてもギャン泣きがおさまらず、このままだと近所迷惑になると思い、一層のこと疲れて寝ることを期待して遊ぼうと思った。しばらくは機嫌よく遊んでくれるのだが、眠たさがあるのか、妻がいないからなのか、次第に機嫌が悪くなりギャン泣きする。それで寝かしつけに入る。でも寝ない。しばらく遊ぶ。ということを何回か繰り返した。娘もその繰り返しにつかれたらしく(ごめんね)、抱っこを要求し、抱っこだと寝るようになった。寝たと思って布団の上に置くと泣く、また抱っこする、寝る、布団の上に置いて泣く、今度はその繰り返しだ。僕も諦めて抱っこでしか寝てくれないと悟り、ほとんど使うことのないコニーの抱っこ紐を取り出して、妻が帰ってくるまで抱っこしたまま寝てもらうことにした。娘も窮屈だとは思うけれど、寝てくれているので問題ないとしよう。

娘と2人きりになると、不器用で何もできない父親でごめんよ、といつも思う。