Life Itself

生活そのもの

2019/07/11

瞑想をしていると、主には顔だがいろんなところが痒くなる。瞑想の間だけ痒くなっているのか、それとも普段も痒くなっていて無意識にかいているのかはわからないが、瞑想中はその痒さがどうしても気になってしまう。痒いところをかいて解決させればいいかと言えばそうではなく、あるところをかいて解決したかと思えば、すぐに別のところが痒くなる。痒くなってかいて、別のところが痒くなってかいて、そしてまた別のところまたは元の場所が痒くなってかいて、際限がない。できればかかない方がいいような気がする。で、我慢する。我慢すると、その痒い場所がやはり気になる。しばらく気になる、というかかきたい。呼吸に集中して痒さから意識を離そうと努めるが、意識のどこかで、どこかでというのは意識というのは複数向けることができるのか、意識のどこかもしくは意識全体で痒さに戻ってしまう。痒さを我慢するという行為のなかには、痒さを気にすることが含まれている。ひたすら呼吸に意識を向けしばらくすると痒さはいつのまにか気にならなくなる。ずっと気にするということもできないものだ。痒さ自体はあるが、そこに意識はむかない。あれ、あの痒みはどこにいったのだ?そう考えるや、また痒さに引き戻されるから、痒みなくなったねぇ、呼吸だねぇと、他人事のようにとにかく呼吸に意識を向ける。瞑想中は自分は他人でもあるのだ。観察の対象なのだから。