Life Itself

生活そのもの

今日から毎日ヨガを

ヨガの先生から非常に嬉しいレッスンのお誘いがあった。ただ、レッスンをしてもらう前提として、毎日個人練習を合計で1時間ほどするように言われた。
レッスンのお誘いはとても嬉しいしありがたいことなのだが、毎日の個人練習は僕にとってはかなり難しいことだ。なんせ毎日ヨガをやることはこれまで何度もトライしてきて、最長でも半年程度しか続いたことがない。半年続いて断念したのは、たしか風邪をひいたことが原因だったと思う。
毎日ヨガをやることに対して、少しだけ恐怖の気持ちもある。ヨガを毎日継続していたときに、持病の睡眠障害が悪化したことがあった。睡眠障害が少しでも良くなればと思って毎日やることにしたヨガだったが、しばらくの間は体調が安定していたものの、ある日重度の症状が出た。単にその時の状態によるもので、ヨガをしていたことが原因であるとは断定できないことはわかっているが、症状が出た夜を境に自宅でヨガをすることはやめてしまった。考えてみればヨガにすがっていたということで、そんな感じでやっていたのでは症状が出なくてもいずれやめていたに違いない。


いまのところ、ヨガを毎日継続してやっていく自信はない。だから、すぐにレッスンをお願いして、自宅でヨガを毎日するようにするよりは、まずは毎日ヨガができるか実際にトライしてみて、1ヶ月もしくはそれ以上継続ができたときにお願いすることにした。


坂口恭平の『cook』という本がある。坂口恭平は毎日料理をして小説を書きまくることで、毎日それをするということを実践することで、躁鬱病のための通院をしなくてもよくなったということを知った。 何も考えずにただやること。それを日常とすること。
仕事以外で僕が毎日やっていることはこの日記だけ。この日記ですら、面倒くさいと思いながらやっている。誰のためにやっているのでもない、ただ自分のためにやっている。2年近く毎日書いてきて、ようやく日常と化し、たまに書くことが楽しいと思うようにもなった。それをヨガでもできるか。日記でできてヨガでできないということはないだろう。できないとすれば、それは僕の未熟さのせいであり、怠惰のせいだ。


日常化すること。頑張るのではなく、日々の営みとしてやること。そのためにはマインドフルネスにやることだと先生から言われた。ヨガをしているときは、やっている最中のその瞬間を大事にして向き合う。この言い方はもはや陳腐化しているし、これまで先生から、また世の中でも何度も言われてきたことだ。簡単にことばにすることはできる。そしてことばにしてすぐにわかったつもりにもなってしまう。だが、実践することは難しい。僕にとって毎日マインドフルネスに何かをするということは未知のことだ。目の前にある現実を見ていない。数日に1回でも現実をみればいいほうだ。いつも現実から目を背けている。


とりあえず、今日の分のヨガは終えた。10分以上の瞑想も課せられているが、瞑想は書いた後にしようと思っている。ヨガをすることは特別なことではない。ヨガマットに乗って、まずは太陽礼拝のための手を吸いながらゆっくりあげる。あげてしまえば、あとは呼吸とともに流れるようにポーズをとっていくだけである。ヨガマットにさえ乗ってしまえば。このヨガマットに乗ることが簡単ではない。ヨガマットはまだ特別な空間だ。これをそのほかの空間と同じ位置まで下ろしていかなければならない。


つらつらと言い訳がましく書いてきたが、さて明日も続けることができるだろうか。