Life Itself

生活そのもの

ヨガとムカデの間

昨日は最後のヨガレッスンだったのだが、実を言うとレッスン自体にはあまり集中できなかった。
ヨガのレッスン中にムカデが出現したのだ。


昨日まで通っていたヨガ教室はアパートの一室で行われているのだが、そのアパートは木々に囲まれていて、1階にあるヨガ教室には多くの虫が入ってくる。夏には教室に入る前に、必ずと言っていいほど蚊に噛まれるし、いろんな虫の姿を目にする。しかしそういったところがヨガをするにはとても気持ちがよく、シャバーサナ中には、部屋にいながらも静寂の中で虫の鳴き声を聴くことできるという、なんとも贅沢な環境である。


ムカデが出現したのは、ちょうどレッスンが半分ほど進行したくらいの時間帯だった。ヨガマットの横にはヨガブロックが2つ並んで置いてあって、あるポーズでそのヨガブロックに手を伸ばそうとしたところ、ムカデがヨガブロックの上を歩いていることに気づいた。とても小さいムカデである。歩き方もかわいらしい。でも、いくらかわいいと言ってもそれはムカデ。刺されてしまってはエライコッチャ、である。数秒間どうしようか思案した。その思案している間にも、ムカデはどんどん前に進む。数秒間の間に、ムカデは1つ目のヨガブロックを歩き渡り、ヨガブロックとヨガブロックの間に入り込んでしまった。数秒置いて、とりあえず渡り終えた方のヨガブロックを掴んでポーズに入った。もちろんヨガブロックをくまなく点検してムカデがいないことを確認して。


実のところ迷ったのである。タオルでムカデを掴んで外に出してやろうか、とか横にいる人に「これってムカデですよね。ムカデいますよ。殺しましょうか。いや、ごめんなさい、殺さないで外に出さないとアカンですよね。」と言って相談しよう、とか。だが、ヨガに集中している人に声をかけるのはいけない。何よりヨガはアヒムサである。アヒムサ=非暴力。非殺傷。ムカデをタオルでつかんで誤って殺してしまってはアヒムサに反する。別に僕自身はアヒムサを含め、ヨガの八支則を守っているわけではないが、できれば殺したくないのは当たり前だし、厳格にアヒムサを守っている人が教室の中にいるかもしれない。それに、タオルで掴もうとしたときにムカデに刺されたらどうするのだ。だから、何も行動を起こさないことにした。


ヨガブロックを1つ使うポーズが終わったあとは、2つ使うポーズをすることになった。仕方がない、ムカデがいる可能性が高いヨガブロックを手に取るしかない。取った。ムカデはいなかった。でも、安心はしない。ムカデはどこに行ったのか。ポーズを取りながら考えた。タオルの中に入り込んでいたりしないだろうか。全身黒っぽい服を着ていてた。僕の服を這って歩いているのではなかろうか、黒っぽいから同化して見えないのではなかろうか。ポーズを取っている間にも気になって仕方がない。こういうときこそ、呼吸に集中することだ。呼吸に集中して残り3カウント。吸って吐く。終わった。次のポーズへ。服のあらゆるところを触る振りをしながら、ムカデがいないかを確認。いない。汗はタラタラと垂れていたが、ムカデがタオルに入り込んでいるかもしれないので、タオルは手に取らない。


そんな感じで最後までレッスンは進んでいった。ムカデのことはずっと頭から離れなかった。アサナの最中は呼吸に集中している(つもりだ)が、終わるや服とヨガマットの周りを点検する。僕は教室の左端にいて、ムカデは左の方向、つまりは窓側、外の方に向かって歩いていたので、他の人の方へ行くことは考えなかったが、方向転換している可能性がないとは言えない、見つけたときに教室全体に言うべきだったかと思って後悔もした。シャバーサナのときにはムカデのことが気になって、ガチガチに全身に力が入った状態だった。力を入れたところで何も変わらないことはわかっている。そんなガチガチの状態でも虫の鳴き声は耳に入ってくる。あぁ、静寂の中の虫の鳴き声。窓の燈の草にうつるや虫の声(高浜虚子)。・・・・もちろんそんな心境ではない。虫の鳴き声ははっきりと聞こえている。静寂の中に身を置いて、全神経を耳に集中させているから。しかしそれは、ムカデが歩くときに発するかもしれない音を聞き分けるためだ。


ヨガレッスンが終わって片付けをするときにヨガマットの周りを探し回ったが、ムカデはいなかった。きっと教室の中へ入ってきたのと同じような道で、教室から外に出て行ったのだろう。そう思い込んだ。


最後のレッスンではあったが、まだまだ真我の境地はほど遠いということを思い知らされた。真我を目指しているわけではないけれど、己の我が小さくなるように、心が何事にも執着しないようにと思っている。が、昨夜はムカデに執着しまくりだった。心がとらわれていた。