Life Itself

生活そのもの

福岡伸一さんトークショー @福岡

今日は福岡伸一さんのトークショーだった。先週の冬にわかれてのライブに続いて2週連続のイベント参加で、快く参加させてくれている妻と娘には感謝しなければならない。


イベントが終わって先程帰宅し、晩食を終えた。まだイベント終えたばかりで多少興奮した状態だが、また勢いのまま書いておくことにする。


福岡伸一さんの本は『生物と無生物のあいだ』『世界は分けてもわからない』『動的平衡:生命はなぜそこに宿るのか』の3冊しか読んでいないが、いずれも文系の僕でも理解できるように書かれていて、面白く読んだ。動的平衡の考え方はとても興味深く、3冊の本を読んでいた1年近く前はヨガ哲学についても割と本格的に勉強していた時期で、動的平衡をヨガ哲学に引き寄せながら読んでいた記憶がある。でも、最後に読んだのは1年前だ、結構忘れてしまっているところもあって、今回のトークショーhは読んだことの復習も含めてのつもりで参加した。


テレビで拝見するとおり、福岡伸一さんはとても魅力的な人だった。話し方が上手く、ユーモアも交えながら笑いを挟んできるので、とても聞きやすかった。2時間という時間があっという間に終わった。


幼少期の頃の話から始まった。福岡伸一さんは今で言うところのオタクだった。昆虫をみて、色と形と変化が劇的なところに魅了された。顕微鏡を購入してもらって蝶の羽を見てそれを小宇宙であると感じたそうだ(この小宇宙というキーワードは、トークショーの間でも4、5回出てきた)。源泉を辿ろうと、顕微鏡の歴史について知るために図書館に行った。当時はGoogleなどはない。図書館のどこに顕微鏡の本があるかはわからない。何度か通っているうちにそれが書庫にあることがわかる。顕微鏡の本は、書庫の中でも奥の方にあった。顕微鏡の本にたどり着くまでに書庫にある様々な本の背表紙を見る。それは道草だった。顕微鏡の本にたどり着くことは、図書館がどのようになっているのかを知ることであり、書庫の中の無数の本の背表紙を見ることだった。Googleの一発回答とは違う、道草の中にプロセスがあり、気づきがあった。


ワトソンとクリックの2人がDNAの二重ラセン構造を発見し、ノーベル賞を受賞した。だが、ワトソンとクリックがDNAの二重ラセン構造を発見したのは、ロザリンド・フランクリンX線解析という基本的で丹念な研究があったからこそだった。 X線解析の研究資料をワトソンとクリックが盗み見て、それから2人はDNAの二重ラセン構造の論文を発表した。
ロザリンド・フランクリンは影の立役者だった。Unsung Hero。日の目を浴びることはなかったが、重要な礎を築いた。山の稜線の下には山塊がある。ロザリンド・フランクリンは山塊の部分を丹念に築き上げていった。ワトソンとクリックのDNA二重ラセン構造までにいろんな人が山塊を築き上げたからこそ山が出来上がった。


ノーベル賞(1位)ばかりが注目されるが、1位だけが価値があるわけではない。1位を取った人の他にも同時に、シンクロにそこに至るまでの科学の発展に寄与している人がいた。


DNAの二重ラセン構造が発見される10年ほど前、DNA遺伝子の本体を発見した人がいた。オズワルド・エイブリー。それはDNAの二重ラセン構造よりも重要なことだ。
さらにその10年前、ルドルフ・シェーンハイマーが生命の動的な状態という概念を提唱した。それは「生命とは何か」という問いだった。
ワトソンとクリックのDNA二重ラセン構造によって、生命とは自己複製するシステムであると定義づけられた。それは強力でシンプルな定義だ。しかし、そのようなシンプルな定義でいいのか。生命とは何かという問いは、哲学、文学、芸術などほかの分野でもずっと問われ続けてきた。生きるということは何か。それを自己複製するシステムだと言ってしまうとダイナミズムが失われはしないだろうか。
生命は固体として絶えず動き、流れている。爪が伸びる。髪が伸びる。新陳代謝。私たちが食べているもので細胞は絶えず入れ替わっている。うんちを出すということは、自分自身の細胞が捨てられているということだ。細胞が絶えず入れ替わるのはなぜか、エントロピー増大の法則に打ち勝つためだ。自分自身を率先して壊すことで、新たな秩序を作り返している。変わらないために変わり続けている。


これは組織論にも当てはまることだ。本屋でも(イベントは本屋の2階で行われた)、本棚にある本を常に入れ替える。これは秩序のない方向にいくというエントロピー増大の法則に打ち勝ち、常に本屋を新鮮に保つことになる。


福岡伸一さんは、ほかの講演で法隆寺伊勢神宮はどちらが生命的かという質問を受けたそうだ。伊勢神宮は2年に一度全取っ替えされる。一方で法隆寺は全取っ替えということはしないが、維持するために部分部分を少しずつ入れ替えている。大きく変わらないために小さく変わり続けているということであり、法隆寺の方がより生命的である。


今回のトークショーは『わたしのすきなもの』の出版記念として開催されたものだった。動的平衡の話が終わった後、福岡伸一さんの好きなものについての話になった。福岡さんは青色が好きなのだという。地球には空や海でたくさんの青を見ることができるが、青は取ってくることができない色である。海の水をすくってもそれは青色ではないし、空の空気を集めても青色にはならない。現象として青いだけなのである。青はなぜあんなに綺麗なのか。それは美の起源、出発的である。青色は生命にとって必要な色なのだ。植物は光合成のために晴れの日の青を望んでいる。砂漠のなかの水。生命にとって必要であるからこそ、それは美しくうつる。
福岡伸一さんはフェルメール好きとしても知られている。福岡さんがフェルメールを好きなのは、押し付けがましいエゴがなく、透明でこじんまりとしているからだそうだ。フェルメールの本物の絵はとても小さい。顕微鏡で見たあの小宇宙と似ている。フェルメールは画家というよりは科学者のマインドを持っている。
フェルメールの絵は37枚しかない(そのうち1枚は盗まれていて、今は見ることができない)。福岡伸一さんは36枚すべての本物の絵を見るために、世界各地の絵がおさめられた美術家へ行ったそうだ。日本にもフェルメール展などでフェルメールの絵を見ることがあるが、それは見に行ったうちに入れないという。フェルメールの絵がおさめられた美術館に行くだけでなく、そのプロセスを大事にしている。
フェルメールの37枚という数字は科学者にとっては、とても魅力的な数字なんだそうだ。37は素数。3と7をひっくり返した73も素数。これは素数中の素数であり、エマープと呼ばれる。Primeを反対から呼んだらエマープ。


その後、須賀敦子さんのことを話されていた。僕の今年の目標として、今年は須賀敦子さん、堀江敏幸さん、そしてプルーストをずっと読み続ける、ほかの本を読んでいても読み続けるということを決めた。プルースト堀江敏幸さんは読まない期間が生じたときもあったが、須賀敦子さんは電子書籍で読めるようにしていることもあるだろうが、時間があったら少しだけ読むということを続けている。僕は昨年から須賀敦子さんを読んでいるのだが、堀江敏幸さん経由で須賀敦子さんを読むようになったと思っていた。だが、どうやら福岡伸一さん経由だったようだ。今日の話を聞いていてそんな感じがした。


福岡さんが須賀敦子さんの文章で好きなところは、文章が美しく抑制が効いているところだと言っていた。須賀敦子さんは20年前の記憶をカメラで追うかのように書いてるようだが、それは正確な思い出というよりは小説ではないか。
自分の思い出は自分の物語である。須賀敦子さんの文章では、須賀さんの思い出を書いているように読者に思わせておきながら、読者はそれが自分の物語で思い出あるかのように読むことになる。思い出が小説にかわる瞬間であり、これはすべての文学に言えることではないか。
須賀敦子さんの文章はいつ読んでも読者の物語として読むことができる。


最後に、オススメの本と若者へのメッセージを言われていた。
その1つがレイチェル・カーソンの『センスオブワンダー』。大人になっても、福岡さんが昆虫に夢中になったように、自然に驚く心を保ち続けることがたいせつだと。娘が本格的に本を読むようになったら、読ませたい本だ。まだ僕も読んだことがないから、近いうちに読みたい。
若者へのメッセージとしては、「勉強しましょう 本を読みましょう」ということ。それは自由になるためにすることだ。社会に出るとつまらないロジックや掟に絡め取られてしまう。そこから自由になるためには、勉強して本を読むしかない。勉強して本を読むと1人になる。人は1人になるときに成長するのだ。


以上、ざっくりと書くつもりだったが、メモを読み返しているうちに、今日のトークショーの概要をまとめることになった。疲れた。もしかしたら、聞き違いなどがあって、内容に間違いがあるかもしれないが、冒頭と、途中、須賀敦子さんと堀江敏幸さんの箇所以外はすべて福岡さんが語ったことである。もし大きな間違いがあったら、また修正します。
トークショー中に少し考えたこともあったのだが、それは明日書くことにする。大したことではないけれど、もう書く気力がない。風呂入って寝る。おやすみなさい。