Life Itself

生活そのもの

2019/06/05

今日は自宅勤務。


今週末のライブに向けて、寺尾紗穂坂口恭平の音楽を聴きながら仕事をしていたが、窓を開けて風を入れているととても気持ちがよかった。夜に聴いてもしっとりしていいが、個人的には昼に聴く方が時間をゆったりと感じることができて好きだ。


昨日ヨガをしたことも良かったのか、今日は結構忙しかったが、ゆとりを持って仕事ができた(想像していたとおり、かなりの筋肉痛だけれど)。どんなに仕事が忙しくても、気持ちにゆとりを持つことは大事だ。忙しさの中でゆとりを持つには、深く長い呼吸をすることが肝心で、そのためには呼吸に意識を向ける必要がある。意識を向けなければ、習慣づいた浅い呼吸は浅いままで、仕事中その状態が続くと体にも脳にも疲労が蓄積しやすくなるように思う。仕事終わりに頭がぼーっとして何も考えたくなくなるようになることは避けたい。


このようなことはヨガをするたびに思うのだけれど、心は正直で、ヨガをサボるとすぐに忘れてしまって、仕事後にぼーっとすることが当たり前になってしまう。ヨガをするのは嫌いではない。ヨガをした後は気持ちがいいし、体に明らかな変化を感じる。だが、ヨガマットに乗ることが面倒くさくて、その面倒くささゆえにいつもサボってしまう。乗るだけだ、乗るだけなのだけれど、やはりヨガマットはヨガをするものだという意識があるのか、ヨガマットの細長い空間だけ特別な空間のように感じてしまう。それを特別ではない空間になるまでヨガを日常化できればいいのだが、日常化するまでは長い継続が必要で、継続こそが一番難しいことなのだと思う。