Life Itself

生活そのもの

2019/06/02

明日から慣らし保育のために保育園に入園することになるが、生まれてから11ヶ月の期間というのはあっという間であった。最初の3ヶ月こそ、1日1日とても長く感じたものだったが、赤ん坊が少しずつ動くようになり、僕らも育児に慣れてくると、その後の8ヶ月はいつのまにか過ぎ去ってしまった。これから時の流れはどんどん早く感じるようになるのかもしれない。赤ん坊にとっては1日1日大切な時間なのだから、なぁなぁで過ごすことがないように大切に過ごしていかないといけないと思う。

このタイミングで、昨年の6/2の日記を読み返してみた。

妻がとうとう臨月に入った。正産期まではあと1週間あるけれど、ここまでじっとお腹の中にいてくれたことに、まずは赤ん坊に感謝したい。昨年の年末は本当に大変で、つわりもひどかったし出血もあったし、妊娠とはそういうものかもしれないが、とにかく、1日でも多く1日でも多くお腹の中にいてくれるようにと毎日祈っていた。残りの2人の時間を惜しむようになったのは多分年明けからで、それまでは早く正産期にならないものかと、時が早く過ぎないかと思っていたように記憶している。臨月に入ったことは心から喜ばしいことだ。


あと1週間、なんとかそのまま我慢してほしい。あと1週間我慢してくれれば、いつでも産まれてきてもらっていい。あと、たった1週間だ。

 

はやく正産期(このことばを目にしたのも使ったのも、後にも先にもこのときだけだ)がこないものかと気が急いている一方で、妻と2人の時間が僅かであることを惜しんでいる。懐かしい気持ちだ。まだこの時期は赤ん坊が産まれてくることにそこまで実感がなかったように思う。実感が出てきたのは、破水して病院に着いた頃ではなかったか。

あれから11ヶ月。そんなに大げさなことではないのだろうが、赤ん坊にとっては明日が生まれた日の次にきつい日になるかもしれない。たった6時間僕らから離れるだけだが、6時間でさえ離れることなんて今までなかった。生まれて11ヶ月ずっと一緒にいた(僕は数日会わなかった時間もあったけれど)。赤ん坊は何も知らずにいつも通りに過ごしているが、その代わりに僕らが明日のことを思ってそわそわとしている。