Life Itself

生活そのもの

手帳で書くということ

平成31年4月13日。
 
今朝起きると、赤ん坊は、僕と妻が寝る布団と赤ん坊用布団のちょうど間、布団と布団の間の隙間に顔を埋めるようにして寝ていた(すぐに生存確認をした)。赤ん坊が呼吸できているかについては引き続き細心の注意を払っていきたいが、毎朝赤ん坊がどのような体勢で寝ているかを見るのが楽しみになってきた。
 
4月はじまりのほぼ日手帳を購入して、毎日使用している。日記はこのブログで書いているので、手帳には簡単なことしか書いていない。色を使い分けて、絵なども添えながら細かく書いたら面白いのかもしれないが性格的に途中で止めてしまうので、とりあえず自分で読み返して楽しいと思えそうな内容、かつ毎日続けることができること、具体的にはその日に聴いた音楽、読んだ本、めったに移動しないがその日に行った場所、のみを書くことにしている。今のところ続けることができているし、読み返すのも面白い。手帳は毎年購入するが、1年を通して使い続けたことがないので、どのように使うかは凝らずに1年使い続けることができればと思っている。
 
手帳を使うということは、パソコンではなく、筆記用具で文字を書くということだ。仕事でもペンを使う機会はなく、すべての作業はパソコンで行うので、文字を書く機会というのがほとんどない。何も意識しなければ、1年の半分以上の日数をペンを握ることがないということになる。おそらく昨年はそうだった。年賀状を書くときにペンを握ったとき、あまりにもしっくりこなくて、書いた文字も自分が思っていた以上に汚くてショックだった。数年前に購入した万年筆がずっと眠っている。手帳を使うことで、万年筆を毎日握り、文字を打つのではなく書くことができる。自分の書きたいようなキレイな字を書くのは難しい。だが、レコードで音楽を聴くのと同じように、文字を書くことでデジタルの文字とは違う部分が見えてくる。句読点の打ち方、文字を書くリズム、思考の速度と手の動き。今さらながら、文字を書くことを楽しく感じている(ということをパソコンで書いている)。