Life Itself

生活そのもの

うつ伏せで寝る赤ん坊(続き)

平成31年4月12日。
 
昨日うつ伏せで寝る赤ん坊について書いたが、その夜、彼女はうつ伏せといえばうつ伏せ、だが膝を曲げ体を丸めてヨガで言うチャイルドポーズの体勢で寝ていた。しばらく観察していると、赤ん坊は芋虫のように上半身を押し出すようにして少し前に進み、その状態でまた寝た。
朝起きて、赤ん坊の布団を見るとそこに赤ん坊はいなかった。見回してもどこにも赤ん坊が見当たらなかった。妻を起こして赤ん坊がいないことを告げると、僕と妻の真ん中の僅かな隙間にいた。寝ぼけて寝返りでもしたら大変だった。
これまで赤ん坊は目を離すことができないと書いていたのは起きているときに限ることだったが、もはや眠っているときですら予測不能な動きをするのだと思っていなければいけない。起きているときも、寝ているときも、赤ん坊は自由自在に動く。動き方、寝方、体勢、何にもとらわれない。
 
僕だったらチャイルドポーズのままでは寝ることはできない。お腹が邪魔だし、体が硬いからそもそも腿とお腹がくっつかず、完全にリラックスすることはできない。体が柔らかい赤ん坊だからその状態で寝られるのか、そうかもしれないが、何にもとらわれずただ生きているからこそ行き着く体勢なのかもしれない。僕だったら、酔っ払った結果であっても、しらふであっても、その体勢で寝ていると気づいた時点で誰に見られるわけでもなく恥ずかしい気持ちになる。
無為自然といえばそうだが、それは理性を持った大人のための言葉であって、諦念で自身を明け渡しているというのでもなく、ただその日を生きたらそういう体勢で寝ることになった、どんな体勢とか知ったことではない、体勢という概念もない、自然とそうなった。赤ん坊にとって体も心も地面も天井も分け隔てなく、ただあるだけ、認識はしていても何も判断することはない。
こうやって僕がこねくり回して書いていることも赤ん坊にとっては無意味で、将来文字を読めるようになって読んでもわかるはずがない、赤ん坊はただ赤ん坊で、赤ん坊であるがゆえの今の存在なのだ。