Life Itself

生活そのもの

『Gallipoli』

今日は1日中頭がぼーっとしている。今になってようやく頭が少しずつ動いてきた。
 
仕事が終わりかけの時間になって、久しぶりにBeirutの『Gallipoli』を聴いた。久しぶりとは言っても最後に聴いてから1週間も経っていない。最近は折坂悠太、細野晴臣星野源、Lonesome Stringsくらいしか聴いていない。邦楽ばかりだ。今日は音楽を聴く気にもなれずに16時くらいまで仕事をして、やっと少し心に余裕が生まれて音楽を聴こうと思ったのだが、あまり日本語の音楽を聴きたくなかった。意味のある歌詞を耳にしたくなかったのだ。それで机の上に置きっぱなしにしていた『Gallipoli』が目に入って、聴くことにした。
音楽をかけたその瞬間から、視界が、身体が、心が開けていく感じがした。それまでずっとどんよりとして仕事をしているのかどうかも意識になかったのが、『Gallipoli』の音楽で視界が広がっていって、目の前にあるPCや筆記用具や本などがどんどん目に入ってきた。それぞれの存在が一気に鮮明になった。僕自身の呼吸にもようやく気づいた。瞬きを意識して数回する。目がひどく乾燥している感じがした。背中はひどく縮こまっていて、仙骨から上半身を立てた。そこから終業まで、遅れを取り戻すように集中して仕事を片付けた。
 
『Gallipoli』は購入してから何度も聴いたが、こんな感覚になったのは初めてだった。音楽で一度こういう体験をすると、それ以降、その音楽を聴くたびに、再現はしないまでも、その感覚を思い出すことになる。意図してそんな体験ができるわけではないから、そのような音楽に巡り合うことは幸運だ。