Life Itself

生活そのもの

ヴェノムとエックハルト・トール

一昨日U-NEXTで『ヴェノム』を観た。これも本当であれば映画館で観たかった映画で、ずっと気になっていてようやく観ることができた。トム・ハーディだ。
120分弱とちょうどいい長さで、スピード感もあるから観ていて爽快感があった。トム・ハーディも相変わらずかっこいいし、いい感じだ。
 
しかし、映画の中でエックハルト・トールの名前が出てきたときには笑ってしまった。スピリチュアル界ではかなりの有名人であるエックハルト・トール。僕も彼の著作は好きだし、妻にかんしては同じ本を繰り返し何度も読んでいる。エックハルト・トールが出てきたということは、エゴについて何か暗示しているのだろうか。そもそもマーベル映画はエゴをテーマにした内容や登場人物が多いようにも思う。ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーVol2のエゴなんて、名前からしてそのままだ。
 
少しだけしか出てこなかったのでよくは覚えていないが、ヴェノムに寄生された主人公のエディがCDもしくはDVDでエックハルト・トールの話を聴いていた。
 
ちょっとエックハルト・トール風に言えば、寄生したヴェノムの声や行動は、Thinking Mindということになるか。ヴェノムは他人ではあるが、エディ自身でもある。エディはヴェノムの声を聞かないようにすることはできないし、行動を制御することもできない。僕らがThinking Mindを無視することやそれをないものとすることはできないように。Thinking Mindは、ヴェノムは自分の意思と関係なく声を出し、行動する。寄生された側ではあるが、ヴェノムの方が力が強い。だが、ヴェノムはエディがルーザーであるということに共感を覚え、次第に互いが寄り添いエディの体を協力して利用するようになる。エディ、ヴェノムのどちらが強いとかではなしに、共生していく。ヴェノムを、Thinking Mindを無いものとするのではなく、また同一化するのでもなく、ただあるもの、Beingとして見る。
 
エックハルト・トールはたまたま出てきただけかもしれない、上で書いたのはただの僕のこじつけだ。
 
しかし、映画で久しぶりにエックハルト・トールの名前を聞いたことで、ヨガを通してエックハルト・トールのことを知り、彼が語ったことをもとに瞑想したり先生と一緒に話したりしたことを思い出した。エゴについて、DoingとBeingについて、Thinking Mindについて、執着、そして明け渡すことについて。しばらくエックハルト・トールもヨガスートラの本も読んでいないが、1年以上の間、週1くらいで先生と一緒に話していたことだから、名前を聞いただけでも思い出すことはたくさんある。
 
うーん、ヴェノムのことを書くつもりだったのに、結局エックハルト・トールのことについて書いてしまった。