Life Itself

生活そのもの

「犬ヶ島」、そして「まんま」

・昨日の日記を書いてから、結局『犬ヶ島』を観ることにした。WOWOWで録画していたものを観たので、冒頭で小山薫堂が創った詩とあわせて映画のことが紹介されていて、その詩で『夢の島』と書いてあったから僕は日野啓三の『夢の島』を思い出した。ずいぶん前に読んだからあまり内容は覚えていないがそこで喚起されたイメージは強烈に残っていて(日野啓三の多くの小説はそうだ)、小山薫堂の詩によってそのイメージを思い出し、そのイメージを引きずりながら『犬ヶ島』を観た。僕は夢の島のことは知らないけれど、日野啓三の小説を読んで僕が勝手に作り上げた夢の島のイメージが、今回の『犬ヶ島』の映像でようやく補完されたようで、映画を観ている最中『犬ヶ島』を見ながら『夢の島』にいるような不思議な感覚だった。
 
ウェス・アンダーソンは、『犬ヶ島』を通じて相当日本のことについて研究したらしく、日本の良い面だけでなく悪い面についても描かれていて、これは映画が終わった後に小山薫堂が言っていたことだが、寿司が作られる過程の映像を俯瞰で見ると惨たらしくショッキングに感じられるもので、またとても違和感を覚える映像であった。寿司は魚を捌いて酢飯で握ったもの、そんなことはわかりきっているようだが、あの俯瞰の映像を見せられると、僕らは寿司を食べることで、ほんの数時間もしくは数日前までは生きていた生き物を口に入れているのだという事実を改めて突きつけられる。
物語の内容自体に特別な新しさがあるわけではないが、100分足らずの映画で様々ことを考えさせられた。観て良かったし、近いうちにまた2回目を観たいと思う。
 
・赤ん坊は最近よく「まんま」とか「まま」と言っている。これが妻のことを指しているのかわからないが、そもそもまだ僕らのことを何と呼ばせるのか決めていないし、赤ん坊の前に僕が妻のことを「ママ」と呼ぶこともなければ、妻が自分自身のことを「ママ」と言って語りかけることもほとんどないから、妻のことを指して「まんま」や「まま」と言っているわけではなさそうだ。まだ言葉ではなくて、ただ「ま」とか「んま」とか言うのが楽しいのだろう。あとは唇をブルブルブルと震わせて音を鳴らしたり、音は鳴らさずに唾だけを飛ばしたり、口を使って遊んでいる。もし妻が自分のことを「ママ」と呼ばせるのだとしたら、この「まんま」「まま」が「ママ」という言葉に変わるのもそう遠いことではないのかもしれない。