Life Itself

生活そのもの

吉田亮人さん『The Absence of Two』トークショー

昨日、吉田亮人さんの写真集『The Absence of Two』のトークショーに参加してきたのだが、それ以降、トークショーで語られていたことが繰り返し頭の中を巡っている。
 
この写真集は、吉田亮人さんのお祖母さんとその孫にあたる大輝さん(亮人さんにとっては従兄弟)の2人の生活を追った写真集なのだが、その生活の結末が一時期話題となっていたようだ。僕はこのイベントに参加するまでほとんど知らなかったのだけれど、Webニュースなどでも取り上げられていたらしい。ある日大輝さんが突然姿を消して、その1年後に遺体として発見された。自死だった。
 
京都在住の吉田さんは、ある日実家のある宮崎に帰省して、お祖母さんと大輝さんの家に遊びに行ったときに何気なく撮った1枚の写真が、2人の生活を追う決め手となったと言っていた。宮崎から京都に帰って、宮崎で撮影したお祖母さんと大輝さんの写真の一覧を眺めていると、ある1枚の写真に大きな違和感を覚えた。普通の祖母と孫の関係性とは少し違っている。トークショーでもスライドショーでその写真を見せてくれたのだが、進行役の大井実さんも言っていたように、まるで恋人のような距離感だ。吉田さんは写真として見返すまでは、2人のその特別な距離感に気づかなかったらしい。写真で見たからこそ、客観的に改めて2人のことを見て、今まで気づかなかった2人の関係性が浮かび上がってきた。
 
それから2人の生活を撮影していった吉田さんだったが、お祖母さんの生活というのは3日間も追っていれば大体のことがわかるし、生活を追っていても何か特別なことがあるわけではなかった。撮影された2人の生活は、ほとんどがダラダラとした日常の様子だ。ただ、普通の生活ではあるけれども、写真と吉田さんの話から窺える2人の関係性というのは、通常の祖母と孫という間柄ではあまり考えることができないものだ。大輝さんが朝出かけるときに、お祖母さんと握手したあとに必ずお祖母さんの頬をつねること(つねられたお祖母さんはいつも怒っていたらしい)、寝る前に大輝さんがお祖母さんの膝に手をついて「今日もありがとう」と言って拝むこと、スーパーに買い物に行ったときに大輝さんがお祖母さんを引っ張るようにして2人で手を繋いで歩くこと、大輝さんが帰ってくる時間帯になるとお祖母さんは外に出て大輝さんが帰ってくるまでずっと待っていたこと、スクーターの音がするたびにそれが大輝さんじゃないかと道路の方を見ること。どれもなんだかとても素敵だった。大輝さんは体調を崩されていたお祖母さんの介護も献身的にしていたらしく、大輝さん自身大変だったとは思うが、写真に映っている大輝さんの表情はいつも明るい笑顔だった。写真用のぎこちない笑顔ではなく、とても優しそうな笑顔だ。
 
そんな大輝さんが突然姿を消して、しかも1年後自死していたというのは、吉田さんからしてもわけが分からず、混乱しかなかったらしい。遺書もなく、なぜそんなことをしているのか未だにわからないとのことだ。しばらくの間、撮影した写真を見ることさえできなくなったと言っていた。その後、写真集として出すことを決めた後も、1枚1枚撮影した写真を見ながら、なぜ大輝さんがあのような結末になったのかわからなくて苦しくて、写真を辞めることさえ考えたそうだ。でも、いくら考えても死んだ理由なんてわからない、大切なのは大輝さんがなぜ死んだのかということではなくて、2人のあの生活があったというその事実である。そんなことを吉田さんは言っていた。
(ここまで書いたことはメモしていたわけではないので、もしかしたら記憶違いのところもあるかもしれない)
 
昨夜トークショーが終わって帰宅した後、そして今日改めて写真集『The Absence of Two』を見て感じることは、大輝さんやお祖母さんの不在ではない。存在である。写真集には2人の姿が映っているわけだからそんなの当たり前なことかもしれないが、写真集のタイトルが示すように、2人はもういない。大輝さんの自死が発覚して1年半後、お祖母さんも亡くなった。僕らは、写真集を開く前から、大輝さんの衝撃的で悲劇的な結末を知っている。それでも、写真集の写真を見て感じることは、2人がそこで生きていたということであり、介護など大変なところもあったかもしれないが、「ほのぼの」として優しさに満ち溢れた日常の生活の様子である。大輝さんとお祖母さん2人の強い愛情である。写真集の始めと終わりにある、大輝さんが亡くなった場所である鬱蒼とした森を見ても、2人が存在したことの否定にはならない。
 
人が死ぬと、死んだその日からその人は過去になる。過去になったその人にたいして、生きている僕らはどのようにでもその過去を上塗りすることができる。美化したり、その逆であったり。死んだ人というのは、それ以降、ありのままでいることはできなくなってしまう。それぞれの記憶の中でしか生きていくことができなくなる。僕ら今を生きている人が、死んでしまった人にたいしてできることは、生きていた当時の姿のまま思い続けていくことではないだろうか。それはきっとすごく難しいことだとは思うが、吉田亮人さんのトークショーに参加して写真集を見た今、そんなことを思っている。